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誰でも”不思議”と感じるものには、興味が湧く。
それには、大人も子供も関係など無い。
人が何かに惹かれるのは、常に、そこには理由があるから。
心から惹かれ合う２人にも、きっと、そこには理由があるはず。
互いの知る顔、自分が知る顔。
相手しか知らない顔、互いに知らない顔。
そこに秘められた想い、幾つもの感情を見せる表面。
大好きな人が持つ、幾つもの顔――”ｆａｃｅ”。
”１番”には、どれを選び取るのだろうか……？
「一体……どうしたって言うんだ？」
俺の浅い溜息が、肌寒さを連れてくる風と混じる。
――笑ってるかと思えば、時折、が見せる物憂げな顔。
つい最近までは、いつ見ても、楽しげに皆とはしゃいでいた。
それなのに……。
気になって、気になり過ぎて、何だか他の用事に手を着けられそうにない俺は、部室の近所にあるベンチへと腰を下ろして、考えていた。
短く刈っている髪に両手を当てて、俺は頭の輪郭をなぞるように手を動かす。ザリザリとする感触を掌に感じながら、また1つ吐息を吐いた。
――別に喧嘩なんてものは、特別してない……。
それに、が臍を曲げる事も、面と向って言ってないだろう？
これと言って、俺には、目に見えての原因が見当たらない。
もしも、仮に”ある”とするならば、ただ１つ――。
――不二の、アレだな。……心理テストの”結果”、だ。
頭を撫でるのを止めた俺は、姿勢を変え、今度は胸の前で腕を組んだ。
瞼を閉じると、耳に優しい緑の葉擦れが聞こえる。
その音を聞きながら、俺は心を落ち着かせて慎重に謎解きを始めた。
――と答えが違った事に、彼女はガッカリとしたのか……？
あの場合、不意な質問だ。の考えに合わせて答えるなんて、余裕は皆無だ。
それが、かえって拙いのだろうかと思案する。
「でも、俺とは個々の人間だ。考えなんて違って当然だろ？」
自問自答してみたが、答えが出るどころか、俺は迷う一方だ。
――”考えが違う”と、この言葉で片付けて良いのか……？
男女の考え方は、違う。
個々の人間の考えに、完全な一致なんてものは無い。
……その答えで、本当に良いのか？
…………本当に、か？！
良く考えてみろ、大石秀一郎！ そんな簡単で、良いのか？！
「……駄目だ！ 全然、良くないぞ！！ ……あ〜〜〜っ！」
俺はそう言って瞼を押し上げると、ベンチから腰を上げて、勢い良く立ち上がった。――が、叫び声を上げた俺は、頭を抱えて、ベンチへと腰を下ろす。完全な思考の迷宮へ足を踏み入れた俺に出口は無い。足元を見詰めると己の濃い影が潜んでいた。
「好きな子の”横顔”を見る事は、変な事なのか？ 結構、”心の支え”になるんだけど、な……」
自分の影を見詰めて、俺は情けない声で呟き、小さく笑う。
確かに、俺達は通常の恋人達よりも、２人のために費やす時間が短い。
部活と学業が第一で、それは学生の領分。疎かにする事自体も出来ないし、してはいけない事だ。
優先する時間から、己の時間を差し引けば、必然と相手に合わせる時間も無くなる。
でも、何時だって、生真面目な優等生をやってられる訳もない。
俺だって息を抜く時はあるし、癒されたい時だってある。
そんな時に、を眺めていると、いつも不思議と元気になれた。
彼女が皆に見せる顔は、俺に見せるものとは少し異なるから。
その違いを見つけるのが、とても楽しくて、凄く嬉しくて――。
そこまで思った俺は、更に大きな溜息を零し、広瀬さんの言葉と弱々しく喋る彼女の表情を思い返す。
『もっと一緒にいたい気持ち、誤魔化してるみたいで……』
――”誤魔化してる”……俺も、そうなんだろうか？
一緒に居てやれない事を、罪悪感として感じてるのかな？
それで俺は、”横顔”までも……見ようとするのか？！
そう考えた途端、胃にキリ……ッと痛みが走る。
俺は鳩尾辺りに、慌てて手を当てた。
「あ、イタタ……ッ！」
”軟弱だな、俺の胃は！”と、そんな思いで顔を顰め、舌打ちを軽く鳴らす。
浅い呼吸を何度か繰り返し、痛みを遣り過ごした。
空を見上げれば、青い空に千切れた白い雲が溶ける。
痛みが治まったところで、俺は空を見上げたまま、大きく深呼吸した。
――の顔、見たいなぁ……。
晴れた日の空は、何となく、の笑う顔を見たいと思う。
それは、きっと彼女の笑顔が、晴れた日の太陽に似てるからなのだろう。
そう考え、俺は瞼を閉じた。耳には、柔らかな緑の音が控えめに囁くように届く。これは、微かに起こる風のせいだ。
――そろそろ、部活を開始させる時間だな。……行くか。
空を仰ぐ事を止め、俺はベンチから腰を上げようとした。
そこへ、駆けて来る幾つかの軽快な足音が近付いてくる。
「ちゃーん！ 遅い！！ 早く、早く！！」
「ま、待ってよ〜！」
足音が大きくなるにつれて話し声も近くなり、俺の耳にしっかりと聞こえる。
声の感じから、とのものだと俺には判った。
残念ながら、今日のミクスド部員は、女子テニス部で練習だ。
俺には、彼女達が練習に遅れないように声を掛け、急き立てる事が、精一杯の務めだった。
「練習が始まるぞ！ 、、急げよ！」
ベンチ傍で立っていた俺は、図書館の角から姿の見えたとに声を掛ける。
「こんにちは！ 大石先輩！」
が一際大きな声で挨拶を言うと、俺の傍を駆け抜けた。
軽快な足音は、そのまま、女子テニス部のコートへと向かう。
「大石先輩。……ちゃん、先に行ってて！」
に遅れて駆けて来たが、俺の前で急に足を止めると、にそう告げた。
”うん、解った！”とは言い、俺とに背を向け、そのまま、女子テニス部が所有するコートへと駆けて行った。
「……、どうかしたのか？」
まだを見送っているの横顔を、俺は見下ろして尋ねる。
どことなく浮かない表情なのは、気のせいだろうか。
俺は、そんな事を思った。
「大石先輩、訊きたい事があるんですけど……」
そうポツリと話すが、こちらを向いた。
好奇心の強い大きな瞳が、俺の目を覗く。
「……何だい？」
ニッコリと笑みを見せた俺は、と向き合った。
すると、は強い眼差しで俺の目を覗き、”心まで見せて！”と、言いたげな表情をする。
そんな彼女の顔を見た俺は、少し驚きを感じていた。
「そんなに、”横顔”を見るのって、楽しい……ですか？」
少し眉間に皺を寄せたが、面白くなさげに口を尖らせる。
俺は彼女の問いに、忙しない瞬きをして見せた。
――ドキ……ｯ！！
隠し事と言うほどのものでも無いとはいえ、密かな楽しみは、やはり出来るだけ隠しておきたい。俺の頭の中で、そのような考えが働いた。
「え？ まぁ、その……それなりに……///」
の言葉に、ドキマギとしながら俺は言葉を濁して返す。
「そう、ですか……」
更に眉を寄せたが唇を尖らせると、そのまま俯いた。
俺の言葉で、いかにも、が不機嫌になったのが解る。
「は……”横顔”を見るのは、嫌いなのか？」
俯いてしまった彼女を見下ろし、何となく気になっていた事を、俺は尋ねた。
――お前は、俺の”横顔”を見たりしないのか……？
俺との会える時間は、通常の恋人達よりも少ない。
自分と同じように、彼女も隠れて見たいと考えないだろうか？
２人の間には、想いの温度差が漂う気がした。
彼女の旋毛を見下ろしていた眼を外し、俺は自分の足元を見詰めて、浅い息を吐く。
――俺の”横顔”を見たりするのは、嫌とか……？
またチクリ、と鳩尾辺りが痛み出す。
俺は痛み出した箇所へと、右手をそっと当てた。
――それとも、俺が想うよりも、は俺が好きじゃない……？
時折、沈んだ彼女の横顔の意味は、想いが目減りしている事を教えていたのだろうか。落ち着かない気持ちで、俺は俯いてるの頭に視線を戻す。
「――嫌い……」
小さな声で、がポツリと呟いた。
「き、嫌い？！」
彼女の呟き声を聞き拾った俺は、我が耳を疑うと彼女の言葉を芸も無く、そのまま鸚鵡返しする。
「……大石先輩の”横顔”なんて、もう見たくないです！」
顔を上げ、１度強く真横に結んだ唇を開いたが、キッパリとした口調で俺に答えた。
――俺の”横顔”は、もう見たくない……。
俺は酷く悄然とした気持ちで、目の前のを見詰める。
「……」
やっとの思いで口を開き、俺は彼女の名を呟いた。
力の無い声は、俺の心の動きを表しているかのようだ。
「だって！ だって……大石先輩、”他の人”を見てるんでしょ？！」
部活前のグラウンドは、まだ人の気配が無い。荒れたの声が、俺を責めるように、静かな辺りに響いた。
「――え……っ？」
が言い放った言葉に、俺は息を呑み、目を軽く見開く。
――”他の人”を見てる……？ 俺、が……？？
どう解釈して、そういう考えに至ったのだろうか。
彼女の考え方に、俺は冷静な思考で対処する事が出来ずにいた。
「恋人だって言うなら、私の横顔なんて見る必要無いでしょ！」
噛み付くような勢いで喋るの表情が、酷く歪む。
荒れて響く声は、俺に対しての怒りが滲んでいた。
「そ、それは違うぞ！ 俺は――」
慌てた俺は我に返り、の声を遮るようにして話し出そうとするが、それよりも早く、が口を開く。
「違わないっ！ 私は、誤魔化されませんよ！！」
更に声を張り上げるように、が言い放った。
ハッと目の覚めるような気持ちで、俺は目の前の彼女を見詰める。
「――……っ！！」
反論したい気持ちはあるが、俺の咽喉元で言葉が詰まってしまった。
――”誤魔化し”
その一言に、俺は激しい動揺を覚える。
自分の欲を無意識に慰める行為は、やはり誤魔化しなのだと、彼女に責められた気がした。
俺が取っていた行動は、欲張りになり過ぎる己の心への抑制。
彼女の重荷になり過ぎないよう、また自分の想いで潰れないよう、保身に走った俺の狡さ――。
の”横顔”を見て満足するのは、俺の身勝手な想いだ。
そう、俺の独りよがり――。
俺は、小さく息を呑む。
「他に好きな人がいるなら、ちゃんと言ってくれたら良いじゃないですか！ 隠すなんてズルイです！！」
右手の人差し指を凄い勢いで突き出したが、弾劾するように俺の目の前へと指先を向けた。
「か、隠してるなんて……」
彼女の勢いに押され気味の俺は、タジタジになりながらの応答となる。
の怒りの視線を浴びながら、俺は後退りした。
「それに……っ！ 告白の返事だって、まだ貰ってません！！」
俺が後退りした分だけ同じように詰めて来るが、眉間を寄せ、口元を限界までへの字にして言い切る。
「――？！」
彼女の言葉に、俺は驚愕の顔を見せた。
真ん丸になりそうなぐらいに見開いた双眸で、俺はの顔を凝視する。
――こ、告白の返事……？
……俺、答えてなかったのかーっ？！
スッカリと気が動転してる俺の思考回路は、ショートしているに近い状態だった。その間も、は捲し立てるように、どんどん話し続けている。
「返事は無いし、好きな人の”横顔”が見たい。これ、大石先輩が想う人って、”私じゃない”ってコトじゃないですかっ！！」
の大きな瞳が、俺の目を覗き込む。
何も話そうとしない俺からの言葉を、どうやら待っているらしい。
とはいえ、何をどう話せば良いのかも考えられない俺は、気持ちも落ち着かないまま、言葉を口にする。
「……な、何でそうなるんだ？！」
一拍置いた俺は、どこをどう訂正すれば良いのかも判らず、とにかく、声だけを出した。
――俺は、好きな子の”横顔”を見たいだけだ……！
どうして、そこで”他の人が好き”なんて話になる？！
互いの思考の相違点を考える俺は、怒るに右手を伸ばす。
とりあえず、会話が一方的にならないように、俺は彼女を宥めようとした。
「先輩の好きな人が私だって言うなら、”横顔”なんて必要無いもん！！ ”堂々と真正面から見たら良い”、そうでしょ？！」
俺が伸ばした右手を勢い良く払い除け、は更に声高に言う。
――堂々と見るだけじゃ物足りないから、”横顔”も見たい。
ただ、それだけの事なのに――。
払い除けられた手を、再度、の二の腕に伸ばす。
「だから、それは違うって――」
彼女を落ち着かせるどころか、ヒートアップする一方の喋りに、俺は言葉を少し挟むのが精一杯だ。人の話に耳も傾けそうに無いだが、それでも俺は説得を試みた。
しかし、懸命に宥めようとする俺の右手を避けたは、詰めてた俺と彼女の距離を、一気に空ける。
「そんなに”横顔”が見たいのなら、ずっと見てたら良いですよっ！ 先輩が片想いでも、振られようとも、私は知りませんからね！！」
キツイ視線で俺の姿を捉えた彼女の大きな双眸が、俺を見据える。
は、言いたい事を”これでもか”と、俺の目の前で捲し立てた。
俺はの言葉に、目を剥くしかない。
――ふ、”振られる”って、その言い方は、あんまりじゃないかっ！
それじゃ、俺はお前に振られるのか？ そういう事なのか？！
彼女の言葉は、流石に俺の頭へカチンとくるものがあった。
「ちょ、ちょっと待て！ コラ……ッ！」
とんでもない事を言ったを捕まえてやろうと、目の前で立ってるへと、今度は両腕を伸ばす。
「絶対に、待つもんか〜〜っ！！」
可愛げ無い声と併せて、”あっかんべー！”として見せると、は俺に背を向け、そのまま駆け出した。本気で走り出した彼女が、男子テニス部の部室脇を駆け抜けようとしたところで、英二の気の抜けた声が聞こえてくる。だが、その声を無視した俺は、目の前で揺れているラケットバッグの肩紐へと、右手を伸ばしていた。
「お〜い、大石ぃ〜？ 今日の練習ってさ――」
あと少しでのラケットバッグの肩紐を掴めるというところで、部室から出てきた英二と部室角で交差しかけ、俺は体勢を崩して英二に突っ込む。
「わぁっ？！ ……しまった！ おい、っ！！」
急な出来事に驚いて声を上げた俺だが、崩した体勢を立て直そうとして、咄嗟に英二の身体に抱き付いた。その隙に、の姿は女子部のコートへと消えて行く。
「――っとぉ？！ あっぶね〜よ！ ……え？ ？」
動体視力の良さを発揮した英二が、視界端に飛び込んできた俺を上手くキャッチすると、俺の呼んだ名前に反応した英二が、の走り去った方を見詰めた。
「アララ。……これは、完全に揉めた後だよね？」
英二の背後から顔を覗かせた不二が、目元に右手を翳し、女子部のコートを眺めて言う。
「その確率、１００％――」
肩を竦めた乾が困ったように口端を歪めると、少し下がる黒縁眼鏡のブリッジ部分を利き手の先で、そっと押し上げた。
「一体、どういう事なんだよ……」
微かな腹立たしさを小さく吐き出すように俺が呟くと、校舎脇に植えられる木々達が、風に揺らされて梢を鳴らす。
事実が歪みとうねりを伴い、俺との間で大きな誤解を生じた。
彼女の心を荒らす闇と嵐を和らげる事さえも叶わなかった俺は、友の肩口に額を押し当て、軽く瞼を閉じる。
俺を慰めるかのように、英二は、少しの間、俺の背中を優しく撫で続けてくれていたのだった。
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