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大好きなアノ人と くちづけを交わす時
どうして 女の子は瞳を閉じてしまうのでしょうか？
それは 恥ずかしいからか？
それとも
夢見た王子様に魔法をかけられたいからか？
答えは、誰が知ってるの？
答えを教えてくれる人は、だぁれ？
学習机に面した窓の外から吹き込む風は、カーテンを揺らし、木々のざわめきを優しく響かせる。
部屋の中で１番目を惹く水槽の中では、色鮮やかな魚達が気持ちよさげに泳いでいる姿が見えた。
エアーポンプが、ポコポコ……と忙しない音をさせている。
目の前には、大好きな先輩が座っている。
教科書を覗き込む先輩の表情は真剣で、至近距離の伏し目がちな表情が、私をドキドキとさせる。
だって……ね。
この表情で、いつも私に近付いたら、あの優しい唇が……おしゃべりな私を無口にさせるんだもん……。
それから、ね。
近付くまでは、どんな表情してるのか知ってる。
だけど、その後は―――。
「……よくわからない」
溜息と一緒にポツリと言葉を吐き出した私。
もちろん、その言葉を聞き漏らすような先輩じゃないってことを失念した私が悪い。当然、すかさず返答されることは判りきっていた。
「そんなに難しい問題じゃないぞ？ どこが理解できないんだい？」
「大石先輩がね、キスする顔って途中までしかわからないの……」
「？！ ……お、お前……ッ、何を言ってんだよ！！」
「はぁ〜」と深く息を吐き出した私は、目の前の人物を見て、ようやく大きな失敗を犯したことを知った。
課題をみてくれると、親切心で教えてくれていた優しい恋人である大石先輩の前で、こともあろうに色事を考えていたのだ。不謹慎も極まりない。
更には、その呟きも、もやは呟きの域を超し、丸聞こえな独り言。
大石先輩が赤い顔して怒りでワナワナと震えるのは、当然な成り行きだ。
あわわわ……。
もはや、この室内で逃げ場は無い。
あとは、雷鳴が轟くのをカウントするまでだった。
だが―――。
「……そ、そうか」
ガックリと項垂れる大石先輩は、疲れた顔をしていた。
「あ、いやだ！ ……えっと、どうも慣用句って苦手でぇ〜……」
慌てて取り繕ってみても、大きな失態という名の穴を塞ぐことなど、到底出来るはずなど無かった。アハハ、と乾いた笑い声で大石先輩をチラリと見てみる。未だ項垂れた顔を上げる気配のない大石先輩を不安に思う。
「……あ、あの……？」
対峙して座っていた位置から、そろ〜っと大石先輩の左隣に近付き、私は顔を覗き込みながら、声をかけた。
「俺は自分が情けないよ。……お前１人すら勉強に集中させることが出来ないとはな。……これじゃ、先輩失格だ！」
「ま、またまた！ オーバーだよ〜ぅ、大石先輩ってば！！」
項垂れた姿勢で顔だけを私に向けて話した大石先輩の表情は、苦渋の色を浮かべる。軽く流そうと笑ってみたものの、困った顔をした大石先輩が、呆れたように軽く息を吐き出した。
マ、マズイ……。
今までなら、笑って流してきた大石先輩も今回は様子が違う。
私の背中に冷たい汗が吹き出ると、つぅ〜……と背を伝い始める。
「……これは決して大袈裟なことじゃないよ、」
項垂れていた顔を上げた大石先輩は、テーブルに手をのせ、私の教科書を閉じた。
「……え……？」
大石先輩の仕草を見て、私はドキリとする。
「お前がキチンと勉強しないなら、俺は居ても居なくても同じだ」
勉強を教えることを終らせるという意味なのか？
それとも、今ある関係を終らせるという意味なのか？
「ま、待ってください！ ちゃんと、ちゃんと勉強しますから！！」
テープルの教科書や筆記用具までを片そうとする大石先輩の手へ、ダイブするように自分の体ごとを投げ出し、動きを止めさせた。
「…………」
私の言葉に、手を止めた大石先輩だけど、何も言ってくれない。
テーブルに投げ出した体を起こし、先輩の顔を見る勇気も無く、私はそのまま、テーブルにうつ伏せのままで居た。
「……その言葉、本当だろうな？」
「もっ、もちろんです！！」
「……それじゃ、残りの課題を自力で解けるか？」
「うっ……！！」
「……はぁ〜、お前って奴は」
最終通告を告げるような厳しい口調で学習する意志があるのかを確認し、更に静かに念を押した大石先輩が、私の言葉に浅い溜息を１つ落とす。
「で、出来る限り頑張りますからっ！！」
私は、のろりとテーブルから体を起して、片されそうになった教科書を広げ直した。もちろん、胸の内で迂闊な性格の自分を呪ってみたりした。
……なんて情けないんだろう。
ウッカリもここまでくると、天然だよ。
ちょっぴりトホホな気分で、教科書と真正面から対決を強いられたのである。
もちろん、これが大石先輩の計画的手段なんてことを、ウッカリ屋の私が気付くはずなど、到底在り得ない。そう、私を勉強させる為の演技であったことを知るのは、すっかり課題を仕上げた後のことだった。
「ヒドイ！ ヒドイです！！ あんまりだよ〜〜！！」
「あはは。あれほど真剣な顔して勉強するお前を見たのは、本当に久しぶりだよ」
大石先輩の計画が本人の口からバラされた私は、質の悪いドッキリに、嵌められた気分で居た。当然、私は両腕を振り上げて怒ったことは言うまでもない。しかし、当の本人は悪びれることもなく、どちらかと言えば楽しそうな様子で笑っている。
まぁ……渋い顔で黙られちゃうよりも、笑ってくれるほうが良いには決まっているけど。
それにしては、ちょっと……意地悪過ぎるんじゃない？
未だ呑気に笑う大石先輩をチラリと盗み見した後、私の悪戯心に火がついた。
ささやかな意地悪の逆襲を思いついた私は、大石先輩が１番困るだろう泣き顔を作ってみる。
我ながら、良い考え！
だってさ、いくら大好きな人でも恋する乙女に意地悪をすることは、いけないことだって、ちょっとぐらいは悔いて欲しいもんね！
……うん！！
私は大石先輩の目の前で振り上げていた腕を力無く下ろし、その手で自分の顔を覆った。
「え……？ ……？？！」
つい先程まで明るい声を立てて笑っていた大石先輩の声が、俄かに心配そうな音を含ませ、私へと声をかけた。それと同時に、優しい掌が私の腕を労わるように何度も撫でる。その温もりに、私の胸がチクンと少し痛んだ。
「……な、泣いてるのか？！」
あきらかに動揺しているような先輩の声音に、私は肩を震わせる。
もちろん、胸は痛んだものの、嘘泣きにすっかりと騙される大石先輩の人の善さが愛しくもあり、可笑しくもあったから、吹き出すのを我慢していたのだ。そのために、私の肩が小刻みに震えていた。
「そ、そんなに本気で心配してたのか？ ……悪かったよ、騙したりして」
「…………っ」
俯いた私のつむじに頬を寄せた大石先輩が、宥めすかすようにし、ゆっくりと肩を抱いて話す。いつも私が泣いている時に抱き寄せる腕と、同じ動き。慈しむように包む腕の中に大人しくおさまった私を、心配そうな表情で覗き込んできた大好きな人。
私は、大石先輩へ満面の笑みを見せた。
「……んなっ？？！」
「先輩が悪いんですよっ！ 私の気持ちを知ってて、意地悪したんですから！」
プゥっと頬を膨らませた私を前に、大石先輩の表情もすっかりと日常の顔。
「お、お前だって俺の気持ちを知ってて、こんな悪ふざけをしたのか？！」
「誰が最初に仕掛けたんですか？！」
冷たい視線で大石先輩を見る私は、口先を尖らせて意地悪な物言いをしてみる。すると、私の言葉に対し、急に赤い顔をした大石先輩は、私から視線を逸らして小さな声でボソボソと話し始める。
「……うっ。そりゃ、俺だけど……。でもな！ そもそもが、だな……！！」
「……私が、何かぁ〜？」
「あんな、近い距離でさ、……『途中までしか、キスする顔知らない』って言うのは反則だろう？」
「……へ？」
私はきょとんとした声を出した。
「溜息混じりな表情で、そんなこと言われたら……”今すぐ、したいのか？”って思うじゃないか！ だけど、勉強そっちのけなんて、その……マズイだろう？」
ゴホンと軽い咳払いをして話した後に、チラリと私へ視線を戻した大石先輩。目が合った途端、私は気恥ずかしくなって慌てて俯いてしまった。
「勉強を教えてあげると言った俺が、お前の勉強の邪魔になってたら意味が無いだろ？ ……ああでも言わないと、な」
困ったように笑った大石先輩の掌が、私の頬に軽く触れた。
私は、首を傾けて隣にいる先輩を見上げる。
いつも見ている大石先輩の伏し目がちな表情。
それは、私の知ってる先輩からの……くちづけの合図。
近付く唇にドキドキして、恥ずかしくて、自然と閉じてしまう瞳。
息がかかる程の距離で、私は先輩から不意に尋ねられる。
「……目、やっぱり閉じてしまうのかい？」
「……え？！……」
大好きな人の問いかけに、思わず瞼を押し上げてしまった私には、困ったように笑う優しい大石先輩の目が見えた。
「閉じてしまったら、いつまでも途中までしかわからないぞ？」
「で、でも……っ！」
つい、いつものクセで閉じようとしてしまうだもん！
私はそう思いながら、視線を彷徨わせる。
「ほら……目を見てれば、瞼は開けていられるはずだ」
じっ、と私を見詰める大石先輩の目に、彷徨わせていた視線を定めると、ゆるりと唇が触れ合う。生温かい感覚と、瞼を閉じてしまいたい気恥ずかしさ。
でも、視線を外すことも出来なくて……。
「あっ……ん……っ！ ……んんっ！！」
「……っ…………」
私の唇をなぞる様に動く先輩の唇が、視界の端でちらつく。
右に左にと、誘うように艶かしくゆるゆると滑る紅い唇。
もう、無理……！
ごめんなさいっ！！
限界だよ〜〜ッ！！！
そう思ってしまった私は、ギュッと瞼を閉じた。
私の様子を眺めながら、甘い口付けを落とす大石先輩が、どんな表情をするかなんて、結局判るはずなんか無かったんだ。
だって、女の子が瞼を閉じたくなるのは、きっと触れ合う唇だけで大好きな人の愛情を感じることができてしまうから……。
大好きなアノ人と くちづけを交わす時
どうして 女の子は瞳を閉じてしまうのでしょうか？
それは やっぱり恥ずかしいからで――。
それから、夢見た王子様にしか、かける事のできない極上の恋の魔法を知ってしまった女の子は、それに囚われてしまいたくなるからで―――。
答えは、大好きな人が持っていた。
答えを教えてくれた人は、この世が幸福で満たされる時間と、愛しさという温もりを与えてくれる人。
私の、とても大好きな恋人でした。
【END】