感想・お問い合わせは Web Clap！にて受付中
極楽浄土には、上半身が美しい女人で、下半身が鳥の女神がいる。
しかも、その女神が発する声音は、非常に美しい声だと伝えられている。
そんな神話から転じて、美しい声を持つ芸妓などを、人は稀にこう呼ぶという。
――”迦陵頻伽”、と。
妙齢の男女における恋の閨は――不文律。
とはいえ、男女の恋愛間で亀裂が入る大問題へと発展しそうな事を、事も無げに口にする俺の可愛い人は、至って真面目な表情を見せていた。俺は心底思う。”天変地異の前触れ”や”天地がひっくり返る”という言葉は、今、眼前で既に起きている話の類で使われるものだろう――と。
大石家の長男である俺・大石秀一郎の自室内の配置は、ご覧の通り。
大きな水槽も、水草用の水槽も、今も定位置で健在。ベッド横の壁掛用フレームに、ラッセンのポスターが収まっていて、ベッドの宮付棚の上では、２つの置時計が規則正しい旋律を奏でるように、時の刻みを繰り返していた。
時折、窓の隙から吹き込む緑の香りがする冷えた風は、春色のカーテンを揺らす。室内へと迷って吹き込んできた風が、俺の肌の上を撫で過ぎると、その感覚に少し寒さを覚える。そう、今の季節は――美しい花の散る晩春。麗かな春の日差しが差し込む午後の自室で、いつものように和やかな１日を、恋人とゆったりとした気持ちで過ごすはずだった俺の平和を、粉々に砕いた奴が目の前に座っている。
彼女の名は、。俺の――可愛い恋人、だ。
その彼女の学歴は、俺の２学年下の後輩で書き記す事が出来る。
「――で！ 大石先輩としては、どうですか？ ……やっぱり、判ります？」
「”で！”、じゃない！ それを俺が知る訳無いだろ、この俺が！！///」
「うーん、やっぱり？ ……それは、そうなんですけどぉ〜……」
「どうやったら、そんな話になるんだ！ 、学校で何の話してんだよ！」
真剣な面持ちで正座をするが、テーブルを挟んで座る俺を正面から見詰める。その表情に、悪ふざけの色は無い。だからこそ、余計に質が悪かった。そう、俺にした彼女の質問が――。なのに、俺の怒りを気にもせず、は俺から目を外すと溜息を吐きながらテーブル面へと視線を移す。俺の答えを聞くなり、無視するようなの態度に、俺は引き攣る笑みを彼女へと見せた後、やや激昂する怒り声を彼女へと聞かせていた。
事の起こりは、穏やかな午後の時間が漂う俺の自室で、が持ち込んだガールズトークの内容を吟味し始めたのが、そもそもの原因だった。しかも、その内容というものが――。
「”アノ時、女の子は演技が出来るのか？”――の話、でしたよね？」
「そ、それだよ！ しかも、何で俺が答えを知ってると思うんだよ？！」
茶を口にしていれば、今頃俺が盛大に吹き出す事を、はケロリとした顔で、再び口にする。俺はテーブルの面を右掌で軽く打った後、その手の先を彼女へと向けて叫んだ。俺の言葉で、次に目を丸くしたのは、だ。
「だって、一応……私を見てる側じゃないですか！ ……まさか、見てない？」
「まさか！ そこは、ちゃんと見てるぞ！！」
「………………」
彼女は客観的視点から俺に答えを求めたらしく、その観点をズバリと指摘する。しかし、俺の様子を思い返した彼女は途端に首を傾げ、訝しげな顔を覗かせた。確かに、俺は性交中の彼女の表情を見てはいる。とりあえず、の”見てないのか？”発言に対し、即答でやや難アリな答えを返すと、彼女が冷えた白い眼で俺の顔を見る姿が目に映った。しかし、その顔に俺が気を取られている暇は無い。なぜならば、彼女の問いを脳内で瞬時に、”おさらい”していたからだ。
――『”アノ時、女の子は演技が出来るのか？”』
それだと、まるで……今までの回数のうち、どれかが演技だったと？
の……アノ反応で、か？ ……いや、まさか。
……さすがに、それは無いだろ！
でも、そのまさかで……？
今頃になって、”事実新発見！”って、か……？
オイオイ！
そんなの、冗談だろ……っ？！
彼女の質問を脳内復習した俺は、１つの答えにぶち当たり、愕然とした。
「……それじゃ、何だ……、お前は演技してたりするってことか？！」
俺は双眸を見開き、事実を確認するかのように急いた声でに言う。
「そりゃあ、する気になれない時が、あれば……」
口篭りながら俯き、は恥ずかしそうに答えた。だが、その言葉に、またもや、俺は打ちのめされる。”する気になれないと思う時が、今までにあったのか？！”――と。疑問が俺の胸中で嵐のように吹き荒ぶ。テーブル面に突っ伏してしまいたい衝動に駆られつつも、俺は何とか持ち堪えると、に言葉を返した。
「！ いつの間に、そんな技を覚えたんだ？！ それなら、”したくない”と正直に言ってくれれば、良いじゃないか！」
「そ、そんなの恥ずかしくって、女の子の口から言えませんってば！」
”余計な事を、どこで教わってきたんだ？”――と、俺は忌々しい思いでを見詰める。しかし、彼女の大きな瞳が俺をそこに映す事も無く、は俯いて答えた。
「だ、大事な問題だぞ！ 今まで、”無理矢理してた”みたいじゃないか！」
彼女の”恥ずかしい”の言葉を一蹴する勢いで言葉を口にし、俺は眼前に座るを見据える。いくらなんでも、好きな相手に無理矢理するような男だと思われたら、それこそ――もう、最悪だ。絶対に、立ち直れない。もし仮に、彼女が”したくない”時に、既に事に及んでたとしたらと思うだけで、酷く重い罪悪感に苛まれる気がしていた。
『色気もムードも無いですよ！』って、は怒るけど……。
俺は、いつだって……きちんと『良いか？』って、尋ねてただろう……？
それなのに――。
まったくもって……冗談じゃないぞ！
そんな強姦紛いな話、俺の睦言の営みにあってたまるか……っ！！
胸の内で猛狂う怒りが沸々と湧く中、俺は静かに両手で拳を握った。荒れて荒廃しそうな人格を、しっかりと抑止する為に――。
「――それで？」
「あ、あの〜ぅ……大石先輩？ ……何か、怒ってませんか？」
事実を確認する為に、俺は口を開く。平静を装ったつもりが、酷く無表情になった俺の顔を、テーブルを挟んだ向かいから、恐る恐る上目遣いで窺うが、小首を傾げて見せた。”そりゃ、怒りたくもなるだろ！”――と思いつつも、俺はグッと堪えて引き攣る笑みを見せたまま、更に、追加で問う為に口を開く。
「……、まさか……お前、俺に対して演技したことあるのか？」
真顔で言った俺の声は真剣の極みだった。過去行った閨での甘い営みを回想してみた俺だったが、どこでの時点が、”やりたくない”だったのか、未だ見当が付かない。こんな状態は、精神衛生上悪過ぎる。痛みを伴うにしても、受ける傷は浅いほうが良い。大きな衝撃は早めに受け、立ち直りに時間をかけるに限ると判断したが、やはり割り切れない思いは俺にもある。混沌とする思考で、俺は最悪な状況を想定し始めた。
いつだって、”良いか？”って確認したのに、意味無いじゃないか……。
俺のお前に対する真摯的な想いを、は何だと思ってるんだ？
世の中、双方の合意も無く、手篭めにする輩だっているんだぞ！！
それを思えば、俺がを如何に大事に扱ってるか……解るだろう？
くそ……っ！！
それにしても、本当に……”演じられた”後なのか？！
それだと、実に……厄介な話だぞ？
だって……考えてみろ、大石秀一郎！
アノ時のが、そんな巧みな演技力を持ってたとしたら、手練手管の無い俺なんかじゃ、手の打ち様が無いじゃないか！
……俺、強姦魔なんか、絶対に……嫌だぞ！！
とはいえ、既に”演じられた”というのなら……それ、一体……いつだ？
や、やる気の無かったを……見抜けず、お、俺は…………。
俺は――いつ、この部屋で……を犯してしまったって言うんだーーっ？！
顔色失くした俺は、テーブルを挟んで向き合うを前にして、ガクリと首を折る。項垂れ、口から魂が抜け出そうな勢いの俺を前に、がテーブルの表面を両手で着くと、バンッと派手な音を鳴らした。
「はぁ〜？ な、何を言ってるんです？！ そんなの、まだ無いし！」
俺の問いに心底驚いたのか、大きな双眸を零しそうな程に見開いたが声を上げた。その声を耳にし、俺は顔を上げる。目の前には、随分と赤く頬を染めるが、その赤い両頬を膨らませていた。
……何だ、まだ演技したこと無いのか？
まぁ……それが判っただけでも、本当に良かったよ。
とりあえず、それなら一安心だ！
――と、思ったんだが……。
後々の事を考えたら、そんな悠長にも構えていられないよな？
演技される虞が、あるんだぞ？対策は、早急に練る必要があるな。
そ、そうだな……”演技したくなるポイント”ぐらいは、押さえないと！
全部吐き出しかけた魂を口元から吸い込み直した俺は、安堵の溜息を零しつつ、次の問題点を見出し、表情を締めた。
「なら、今後の為に教えてくれ。”演技したい”のは、どんな時なんだ？ それが判らないと、俺も困るよ。……何が基本かも判らなくなるし！」
の”演技が出来る・出来ない”を抜きにしても、”演技したい”と思われるのは、俺にとっては不本意な話だ。膨れっ面になった彼女を前に、テーブル上へと身を乗り出す格好になった俺は、へと問う。
そもそも、”したい”気持ちは、双方の合意に基づく必要がある行為だ。
片方の強制で成り立つ行為など、絶対に――愛情なんかじゃない。
そこは、俺の――”男としての信念”、だ。
男は”出来る・出来ない”を気にする前に、”して良い事・駄目な事”をしっかりと肝に命じる必要性がある。特に――男女の交接に関しては。
真剣な顔で答えを待つ俺に対し、が呆れた顔を見せた。彼女が持ち込んだ酷く厄介な難問を、真面目に取り組んで解を出そうとする俺が、何故、彼女に呆れ顔をされないといけないのだろうか。俺としては、やや疑問を感じつつも、とりあえず、答えを聞けるまでは口を閉ざす事にした。
「”演技を出来るか否か”の話だし！ それに”基本”って何ですか？！」
「そ、その基本観点を基にして、のやる気度合いの見極めを――」
ツンツンと怒った物言いのが、ズレた論点を正す。その様子に、しどろもどろになりながら、俺は答えていた。
の”演技したい”と思う状況回避をする為の手段を講じれるように知っておかないと、今後の睦言の営みに多大な影響を及ぼすだろう――と、俺は考えた。”双方の合意が俺の大原則だ”――と思い、行為に及んではいるものの、今のところ、俺が我慢し切れず、寄り倒してる感が否めない。とはいえ、受け身であるも首を縦に振って了承するから、一応、”合意”ではあるとも言えるのだが――。
仮に、”演技が出来る”としても、”演技されたくない”とは思う。
恋人の義務感で断り切れず、付き合いで事に及んで欲しくない。
少なくとも、行為に及ぶ時の俺は、嫌々する訳じゃない。これでも、成人男子並みの性欲を、出来る限り抑えているのが現状だ。１人での行為なら、好きなだけすれば良いだろうが、２人で行う営みには相手がいる。相手の気持ちを汲む必要性が大いにあるのだ。
そうなると、”がしたいと感じるか”とか、”がして欲しいと思うか”をだな、ある一定のライン分けをしておかないと、それこそ間違いが起こると思わないか？
そうならない為にも、のやる気度を見極められるように、俺は最大限の努力をしなければならないはずだ！
口に出来ない思いの丈を、胸の内で纏め上げ、盛大に語る俺の事など知りもしないが、目の前に座る俺を見るなり、大きな双眸を、更に剥く。
「はぁ？ やる気の度合い？！ 大石先輩ってば、訳が解んない！」
「さ、最初に、訳を解らなくしたのは、お前のほうじゃないか！！」
俺のしどろもどろな説明を、聞くに堪えられなくなったらしいが、殊更、一際大きな声を上げた。だが、幸いな事に自宅には俺としか居ない。聞き耳を欹てる母や妹が居ない事を、神様に感謝したいぐらいだ。そんな状況下での、この会話――色気もへったくれも無かった。の可愛い顔も台無しだと言えるぐらいの表情を見せ、彼女の怒りが激高する。しかもは、俺の目の前で仁王立ちの姿になった。それを見上げる形で、俺は彼女の言葉に応戦する現状となっている。
そもそも、がガールズトークを俺へと持って来るのが間違いだ。
”アノ時、女の子は演技が出来るのか？”と訊く相手も間違えてる。
第一、俺は以外の女性経験は、とんと無い。
それなのに、何と比べろと言う気なんだよ、は……。
これは――言い出したが絶対に悪い！
少なくとも行為に及ぶ際、俺に”演技”なんか必要ないし、寧ろ、本気のみだ。
それに、”しても良いかな？”ぐらいでは、中途半端な反応でしかないしな。
第一、そんなのは……に対しても、失礼だろう？
互いの言葉でムスッとした表情になった俺とだったが、沈黙に堪えかねたのか、が拗ねながらも唇を動かす。
「も〜ぅ……じゃあ、”声”はどうなんです？」
「はあっ？！ ……声？！」
仁王立ちした姿のが、テーブル上へと両掌を着き、すとん、と座り直して俺へと訊いた。女の子特有の端から端へと話題が飛ぶ会話についていけず、俺はへと素っ頓狂な声で問い返す。
おいおい、演技の話題から声の話題に飛ぶって、どういう意図だ？
それよりも、”演技の出来る出来ない”の結論は、どうする気だ？
目が白黒しそうな俺の思考は、疑問点だらけになった。沈黙する俺にお構いなしのは、俺が心底驚愕する事を、サラリと付け加えて話してくる。
「”女の演技”は”声にも影響する”そうですよ？ ……どうですか？」
「ど、どうって……そんな事を、言われてもだな……」
の可愛い唇は、俺を惑わす言葉を紡ぎ、好奇心の強い大きな瞳で俺の目を見詰めて覗き込む。美しい硝子球が放つ眼差しに捕まった俺は、直ぐに狼狽えた。
えぇーーーっ？！
の今の話題は、さっきの話題の上に着地するものだったのか？！
それにしても、”演技”っていうのは、見た目だけじゃなくてか？
”アノ時の声”までもが、”演技”だって言うのか？！
もう基本どころの騒ぎではなかった。の厄介な問題のどこをどうとって、円滑に答えを纏め上げるかも、どうでも良くなるぐらいだった。悩める青年と化し、言葉を口に出来ない俺へと、が加えて問う。
「声のある方が、嘘っぽいですか？ それとも、無い方が嘘っぽい？」
「……あ、あぁ。それは、どっちもが嘘っぽく思える気も……」
大きな水槽に設置してあるエアーポンプの控えめにポコポコと鳴る音が、室内で小さく響く。それを耳にしつつ、俺は気持ちを落ち着かせ、が口にした新たな問いの答えを考え始めた。
そりゃ、1番嘘っぽいのは……過剰な回数で入る喘ぎ声だろうな。
でも、恋人に触られて声が漏れないのも、有り得ない気もする……。
――と、言うかさ……。
何故、そんなにまで……両極端な問いなんだろう？
不思議な二択に頭を悩ませつつ、俺は思案を続ける。だんまりとなるのが気に入らないのか、は俺へと答えを急かすように、再び問いを口にした。
「じゃあ、どっちが好きなんです？ 声がある方ですか？！ それとも、無い方なんですか？！」
「えぇ？！ そ、そんなコト言われてもだな……」
やや不機嫌な表情を顔に表すが、唇を尖らせ刺々しい声音で言う。彼女の声によって、俺は新たに脳内を切り替える事になった。
恥ずかしがって声を押し殺すいじらしい姿を見ると、それが良く思える。
とはいえ、声が漏れるのを我慢し、堪え切れずに声を零す姿も良いな。
どっちかっていえば、どっちも……なんだけどなぁ……？
あ、いや……欲張ってる訳じゃなくて、どっちつかずの臨界領域を推したいだけだ。
でも……こういう場合は、どっちになるんだろうか？
俺が究極の選択に迫られている間に、が更に話を先に進める。少し言い難そうに俯き、視線を泳がせたは、再び、俺を驚愕させるような発言を続ける為に唇を動かした。
「えっと……”アンアン”言うのは嫌だから、声アリは演技です！！」
何がそんなに彼女の機嫌を損ねたのかは解らないが、唇を尖らせ、不満げな声音で話したが、俺を上目遣いで見る。その仕草が、俺に対する有効手段と知っててやっているのだとしたら、質が悪い。女の子の上目遣いは、”女の涙”と同様、ハッキリ言って反則技だ。誰でも可愛く見えるのに、好きな子がして可愛く見えない訳が無い。その表情に対して、デレデレしたいのは山々なのだが、今回ばかりは無理な相談だ。いくらなんでも、俺の脳天をかち割るような衝撃発言が悪過ぎた。
なっ、おま……っ？！
……えぇーーーーーっ？！！
ア、”アンアン”言うのが、嫌だって〜〜っ？！
…………いや、待て！
その前に、だな……。
お、お前の声が、”アンアン”って言うのを、俺は聴いた覚えが無いぞ？
そりゃ、さ……。
『あっ』とか、『うっ』とかの……それぐらいは、過去にたくさんあるけれど……。
……それにしても、言うのが嫌だから……言わない？
何だ、それは！ ……俺に、どうしろって言うんだよ？！
俺とお前が及ぶ行為は、無声映画じゃないんだぞ？！
そんな味気ない事を許せる訳ないだろ……っ！！
オイオイ！
何の為の、誰の為の、撹乱作戦なんだよ、この話……。
お前は……俺を、どうしたいんだ？
色々な問題を眼前に残したままで撃沈した俺は、無言でテーブル上へと力無く、目に見えない何かに降参する形で、とうとう突っ伏した。とりあえず、何かしら言わなければ。そう、すっかりと忘れている抗議の声を、今、上げなければ――。
「……はぁ〜〜っ？！ ”声アリだったら演技”だって？！」
「はい。声無しは演技じゃないですから！ 覚えててくださいね？」
黙して伏せたままだった上体を一気に起こした俺は、両手をテーブル上へと着いた姿勢で、正面のを食い入るように見詰める。やや恨めしげになる俺の視線をものともせず、は先程の不機嫌さと真逆の態度でニッコリと微笑んで話した。
の奴……。
この態度は、かなり……本気だな。
彼女の態度を見る限り、言い出した事を試しもせずに止める事は、まず、有り得ない。可愛く素直な後輩だと思ったら大間違い。怖いまでの筋金入りの頑固さも、持ち合わせている。説き伏せるのは難しいと悟った俺は、考えを一転させた。
……仕方が無い。
ここまできたら、が失敗した時の罰を考えたほうが早そうだな。
現時点では、どこか勝ち誇ったような顔をしているに、俺は問う。意地の悪さを隠す仮面を被り、殊更、真面目な顔を彼女へと見せて――。
「へぇ〜？ そんな事を言ってて、は大丈夫なのか？」
「な、何が……ですか？」
「声が出たら、どうする気なんだ？」
「で、出ないもん！！ もし、声が出ちゃったら、”演技してる”って思ったら良いじゃないですか！」
「そうか、解った。――良く肝に銘じておくよ」
さも心配そうな声で言った俺の言葉に、が急に不安そうな表情を覗かせる。抜かりは無いと思ってるのだろうか。俺は、に”もしも”の場合の対処法を、どうする気なのか訊いた。どんな答えを返す気でいるのかと俺が思っていたら、は”もしも”の場合は無いと言わんばかりの勢いで俺へと言葉を返してきた。さすが、負けん気の強いだ。浅く溜息を吐いた俺は、へと１つ頷いて答えつつ、彼女の言い切った言葉を脳や耳に焼き付ける。
……。
お前、今の言葉を……覚えてろよ？
絶対……お前に、”いつもの声”を出させてやるからな！
こんな事で屈して、甘い閨を無声映画みたいにされてたまるか……っ！！
沸々と沸き立つ闘志を胸の底に秘めた後、俺は額に青筋を浮かべ、ニッコリとした笑みを顔に貼り付けた。
「…………？」
「なら、早速……”手合わせ”を願おうじゃないか！」
が俺の顔を見詰め、首を傾げる。不思議そうな顔をする彼女を前に、俺は用件だけをとっとと口にした。不条理な難題は、早急に片す必要性があるからだ。ざっくり言えば、”やる”に限る――という事だ。俺はテーブルへ着いた両手を支えにし、腰を上げる。俺の立ち上がる姿を、ポカーンとした顔で見上げるの背後へと回り込んだ俺は、彼女の無防備な両脇の下へと両腕を通し、勢いを付けて引き上げた。
「はい？ 手合わせ……ギャッ！ 大石先輩？！ ちょ、ちょっと待っ――」
「間違いを正すには、どんな時でも……早めに限るだろう？」
無理に立たされたが、カエルの潰れたような声を上げたが、そんな事にはお構いなしだ。しっかりと両手で抱えた彼女の身体を、何処にも逃げられないように己の身体と密着させて動きを封じる。アワアワとしているの耳元へと唇を寄せた俺は、少し可笑しそうに笑う声を聞かせた後、ゆっくりとした声音で彼女へと言葉を聞かせた。
窓の隙から迷うように入り込み、未だ春色のカーテンを揺らす草木の香りを纏う風が、室内の全てを静かに撫でる。俺の両腕の中ですっかりと大人しくなった愛しい乙女の芳しい香りを、緑の香りと一緒に吸い込む。爽やかな青い香りに、俺は双眸を細め、暫し、微笑んだのだった。
ちゃぽん――と、小さく水が跳ねる。
水槽のエアポンプが空気を送る音と、２つの置時計の輪唱が規則正しく鳴り続く室内音から、はみ出た音が奏でられる。どうやら、水面近くまで浮上した熱帯魚が、元気に尾ひれを使って方向転換をしたようだ。熱帯魚は、あっという間に水槽の底面近くにある水草へと愛らしい姿を隠した。
魚のようなしなやかさを見せる柔らかな肢体は、薄青のベッドシーツの上を華麗に泳ぐ。仄暗い室内でも、艶めいて浮き上がるように見える裸体を組み敷いた俺は、それを眼下に眺め、動きを止めた。
「………………」
己の下に組み敷く恋人は、切り揃わない前髪を乱していて、その隙間から見える額に微かな汗を滲ませる。羞恥で薄く染まる頬を見せ、彼女は横を向いた。煌いて見える大きな瞳は、閉じられた瞼の下。柔らかな熱を持つ魅力的な唇は、頑ななまでに一文字を結んでいる。
まったく、頑固だな……は。
結構、時間かけてるのに、いくらなんでも……無反応過ぎだろ。
人形じゃないんだぞ？ 少しぐらいは……俺の事も気にしてくれよ。
を見下ろしたままで思った俺は、ベッド棚の上にある置時計へと眼を遣る。時を刻む針の先を読み、性行為に及んでからの経過時間を推測し、常に行う時とのペース配分を脳内で比較した。
時間のかけ方は概ね――いつも通り、か。
とはいえ、俺も……の事は、あまり言えそうに無いな。
組み敷く彼女の上で、俺は右腕１本へと身体の重心を移し、左手の先を己のモノの根元へと添える。さすがに無反応では無いが、興奮の度合いを考慮すれば、やはり勃こりが悪いと思える感触だった。確かに、両手では余る回数で、男女の交接をしている。その点で言えば、の裸体は多少見慣れてはいた。けれども、見慣れたとはいえ、ここまで勃こらない事も珍しい。否、初めてと言えなくも無いだろう。己の勃起の悪さに首を傾げたくなった俺は、目の前の裸体へと視線を移し、左手の先を動かす。
そっ、と恋人の下腹部に触れ、臍の辺りを窺うように撫でてみた。掌の下で、彼女の身体に力が入ったのを感じる。触られる事に対し、が反応しない訳ではないのだと、掌の感触は俺に教えていた。左手の掌を彷徨わせるように、左右の太腿へと這わす。膝を割られる予感を感じるのか、彼女は両足を閉じるように擦り合わせた。
……おっと！
やれやれ……警戒されてしまったかな？
さて、どうしようか……とも思うが、確かめたい事もあるし……。
……申し訳ないけど、仕方が無い。
重心をかけた右腕をベッドシーツから離し、上体を起こした俺は、座位の姿勢になり、の両足を軽く折り畳んで右へと倒した。膝を割られるのを嫌がるだろうと思った彼女を横臥の姿勢へとした俺は、彼女のなだらかな曲線を描く白い尻を軽く撫で上げた後、の身体の深部へと続く入口へと、彼女の臀部側から左手の先を進め、彼女の身体の開き具合を確認する。指先を器用に動かし、の膣口周辺を弄ってみた。手の先が感じる溢れるものの少なさに、俺は眉を顰める。
……あぁ、やっぱりな。
いつもと同じぐらいの時間をかけてはいるけど……。
比べて考えたら、確かに……潤いに欠けるよな？
このまま入れる事になったら……痛がるだろうなぁ……。
さすがに、それは可哀想だし、違う意味で声を上げさせても意味が無い。
これじゃ、喘ぐような声なんかも……出るはずもないよな。
スッ、と左手の先をの身体の入口から離し、横臥の姿勢から元の仰臥へと戻した。硬く閉じているだろう瞼が薄っすらと開き、大きな瞳が俺の姿をそこへと映す。座位の姿勢のまま、俺は彼女を見下ろして、右手の掌で、”瞼を閉じておけ”と語るかのように、の目元へと翳した。俺としても、さすがに彼女へ触れた後で、落胆した表情を見せるのは忍びないと思ったからだ。己の勃こりの悪さも、が潤いに欠けるのも、互いの身体的な問題では無いのだから――。
……いつもとの違い、か。
右掌をの目元へと触れさせたままで、俺は短い時間で忙しなく考える。
の潤いの欠如と言い、俺の勃起の悪さと言い、精神面が左右してる事は確かだろうな。
俺とは、身体的には、今のところ健康だし。
それじゃあ……反応の悪さは、何が原因だ？ 何が足りないんだろう？
まぁ……やる気が若干萎えて足りないのも、事実だよな……。
ん、待てよ？ ……やる気、か。
俺はともかく、は……どうなんだ？
”してもいい”――と、首を縦に振った割には、この状態だ。
”声は出さない”――ってことは、さっきの話の流れからして、一応、”本気”のサインという事だ。
それなのに、身体の入り口は潤いに欠けて、開かない――。
”演技の出来る出来ない”の話なら、明らかに、今の状況こそが、凄く演技っぽく思えないか？
でも、の根性は、筋金入りだぞ？
は、こうだって決めたら、絶対遣り通すタイプだ。
……って事は、やっぱり演技じゃないって事だ。
……ほらみろ。
結局、訳が解らないじゃないか！ が変な話持ってきた所為だぞ。
やる気があって、身体を開かないって、どんな意地悪なんだ？！
……いや、待てよ？
やる気はあるのに、身体は開かない……？
それって、ある意味では、俺も……同じじゃないのか？
一応、こうして性交中なのに、俺自身いつものような昂ぶりが無いし。
……どうしてだ？
それは……余計な事を考えてるからか？
確かに、今が……そうだよな。
……それなら、いつもはどうしてた？
俺は――何を思って、何を感じてた？
俺は――彼女の何を見て、何を感じていたんだ？
の目元に触れていた掌をそこから剥がし、切り揃わない前髪を軽く梳く。不意に掻き上げられた前髪の感覚に、が首を竦めた。こそばゆいと言いたげに、浅く寄る彼女の眉間。その自然な仕草で、不意に、俺の胸が音を鳴らした。
……あぁ、そうか。
”声を出させてやる！”とか息巻いて、喘がせようと考えていたから、間違えたんだ、俺……。これじゃ、が”声を出す出さない”とかで意地になるのと、一緒じゃないか！
こんなのじゃ、相手の何も見てないし、相手の何も感じてない。俺が自分の手で性欲を処理するのと変わらないんだ。でも今は、俺が自分のものを処理するのとは、訳が違うんだ。
が――傍に、いる。
その肌は、裸体の熱と心の想いを――俺と同じように感じてる。
いつも、に隈なく触れて……確かめてたじゃないか。
が甘く濡れた声で鳴くように喘ぐのは、俺がさせてる訳じゃない。
が甘く濡れた声で自然と鳴くように喘ぐのは、彼女が俺から何かを感じてるからだ。
今は感じられないけど、いつもなら……たっぷりとあるもの。
そして、のそれに呼応するかのように、俺も彼女から受けて昂ぶる。
今、足りないもの――多分、それが答えだ。
今、必要ないものは――”無駄な意地”。
そして、今足りないものは――”素直な感情”。
そう、素直な感情――。
を慈しむように愛情を与えたいとか、その想いを肌で感じて欲しいとか――そういう想いを含んだ、大切な相手を恋い慕う気持ち。
”好きだ”と想う気持ちの足りなさが、にも伝わってるんだと思う。俺がこんなに意地になるんじゃ、どんなに素直なだって、身体の開きようが無いさ。つまらない事を試してるけど、も”しても良い”って思うから、黙ってるんだろう？
それなら――。
躍起になって、１人で空回りしてるのは……俺自身じゃないのか？
に注がなかった情愛を、今から注ぎ直してみたら、解るはずだ。
そう、”必ず解るはず”――だ。
探し出した答えの正しさを立証する為に、俺はの仰臥する肢体へと身体を添わせて横臥する。右手の掌を彼女の額に当て、そこから彼女の左半身の輪郭に沿わせ、ゆっくりと掌を滑らせた。柔らかな熱は、掌に馴染んだ熱を吸い、また元の場所へ戻るかのように、互いの肌へと沁み込む。忘れていた想いの熱と一緒に――。
春色のカーテンが、ふわり、と揺れた。緩やかな曲線を描き、緑の香りを漂わせて布裾を踊らせる。熱の上がる裸体を冷ますには、少し足りない冷えを肌に感じつつ、俺は口端を上げた。
「……っ、―――」
自室の音に入り混じって聞こえる、恋人の強い呼吸の乱れ。ピクリ、と肢体が跳ねて、爪先が薄青のベッドシーツ上を滑った。目が見開かれ、弱々しく寄る眉間。触れ方を変えた途端、如実に語られる彼女の――素直さ。
「……ハッ……、……ッ」
不規則になりがちな己の呼吸を落ち着かせる為に、俺は肩を大きく上下させて深呼吸した。じわり、と湧き上がる熱が、身体の四方から勢いを増し、中央部で収束される。無心でに触れれば、己に返る素直な反応。忘れていたものを、俺が手の内へと取り戻す事は、実に容易かった。
明らかに上がる呼吸、燃えるような熱さで上昇する体温――。先程よりも、ずっと優しく、柔らかな手付きでの肌上に触れるだけで、こんなにも反応が違う。過剰なまでの神経系の澄みが、自分で判る。”愛してる”――と、言葉にして言えない分を、溢れるような想いの強さで伝えてみれば、もっと何かが解るはずだ。
「――っ、……ぁ、……ぅぅ、っ……」
小刻みに震え出した愛しい唇が、空気すら漏らすまいと頑なに開きを拒む。そんな彼女の顔を見下ろした俺は、右手の掌で柔らかな恋人の頬を撫で上げた。”お前が愛しい、愛しい……”――と語る想いで。
意地っ張りの唇を、こじ開けるのは――簡単だ。
でも、そんなのじゃ意味が無い……。
唇をこじ開けなくても、刻が満ちれば――いずれは開く。
素直にするには、の心の錠を……開けば良い。
の心の錠を開く鍵の担い手は――俺自身、だ。
撫で続ける掌を止め、その右手の掌をの首元へと添えた。自然と漏れるものを彼女は意志の力１つで塞き止めている。自然の摂理に反した行いだ。苦しくない訳が無い。つまらない試しをした事で、は彼女なりの苦しさを味わう羽目になっている。眺め下ろしている俺のほうが、胸苦しさを覚えた。
「、辛いのか……？」
「……んんっ、……っ、ぁ……」
未だ意地になって開かないの唇は、やはり可愛げがない。でも、”辛くない”と首を振って答えるあたり、黙々としていた先程よりも、は随分と素直だ。少なくとも、俺の言葉を聞き入れるだけの意思が見えた。そのの素直さに賭け、彼女の身体の開き具合を確かめてみる価値はあるだろうと考え、俺は左手の掌での下肢の輪郭を探る。
左手の指先で彼女の茂みの感触を得た俺は、その手の先をやわやわと進めてみると、途端に、が身を硬くした。俺の受入れを拒むような仕草。けれども――指先が茂みの奥にある彼女の中心へ近付き、静か触れれば、指先１つで答えが解る。両足の付け根は熱く湿り、俺の知りたい彼女の身体の入口付近は、とろり、とした普段のような潤いの様相を見せていた。そこに触れるだけで、俺自身も解る。自分自身が急速に燃えて焼け付くような熱さで、身体の隅々までが昂ぶっていくのを――。
「あぁ、そうか……見えた、な……」
体外へと拡散しそうな程の強い熱が、勢い増して中心部へと、更に収束し始めた。途端、優しくしたいのに、性急になりがちな想いが、俺の内側で鬩ぎ合う。そう、いつものように――。
の熱を分けて欲しいが為に、奥へと進めた俺の指先が、熱く柔らかなものに触れる。指先を溶かすような潤いの熱が絡み付いた。途端、背筋を這い上がるような強い肉欲の衝動を感じ取る。跳ね上がる本能の衝動に駆られ、俺は唇を噛んだ。額に薄く滲む汗をそのままに、指先へと気を集め、彼女の秘部で物慣れたように動かし、の身体へと緩やかな刺激を与える。己の気の昂ぶりを遣り過ごそうと、俺はの上へと覆い被さり、その細い首筋に無心で吸い付き、緩い丘に右手を添えた。
「……っ、ぁ……ぅ、あぁっ！」
なまめかしい姿態を晒すの、意地の決壊。彼女の漏らした甘い声に弾かれ、思わず、俺は彼女の顔を覗き込む。すると、そこには――いつもの、愛らしい彼女がいた。少し潤んだ瞳に、上気する赤い頬。自分と同じように額に汗を滲ませ、恥ずかしそうに顔を背けた。すると、撫でて欲しいと言わんばかりに、無防備に晒される細い首筋――。
は意地になって唇を閉じかけるが、そこへと錠を掛け直すことは出来ないのだろう。俺が想いの熱を注ぎ過ぎたのが解るのか、は愛しさを零すような声音で、微かに濡れた喘ぎを繰り返す。素直に開かれた身体に深い繋がりを求め、俺は彼女の両足の間へ己の身体を滑り込ませた。その動きに併せ、羞恥を感じるが緩い抵抗を見せるかのように、俺の身体の両側へと両足を弱々しく擦り寄せる。
瑞々しいまでに潤った彼女の蜜壷へと、避妊具を纏わせた己の昂ぶる熱の先を宛がった。慣れつつある感覚なのだろうか。は逸らしていた顔をこちらへと向け、俺の顔を見る。今から彼女の身に何が起こるのかを、察しているかのような面持ちだ。息を詰めるように閉じられた唇、眉間の浅い皺を見せる切なげな表情――。彼女を見下ろしたまま、俺は両手で彼女の両膝を、更に割り開き、己の腰を前へと押し出したが、肉壁の弾力で阻まれるかのような狭さに、眉を顰めた。熱く湿るそこに己のモノを押し込める最中で、これほどまでに締まっているのも珍しい。今までと少し違う感覚に、俺のほうが躊躇ってしまった。彼女の膝にかけていた左手を外し、己のモノに手を添え、腰の進みを完全に止めた。
ここにきて、俺は――初めて、不安を覚え始めた。
素直に反応していたはずに思えていたが、そうじゃないのかもしれないと思えたからだ。身体の外側は見れば判る。でも、それが案外、俺には判らない演技だったのかもしれない――と。彼女の身体の深部は、熱いぐらいの熱なのに、進入を拒むような狭さ。人の身体は、外側よりも内側のほうが、よりデリケートな作りになっている。そう考えると、尚更、己のモノを押し込めることが怖かった。彼女の嘘を見破れず、間違いを犯してしまいそうな己がいる気がして――。
不自然なまでに動きを止めた俺に、が訝しげな表情を見せていた。の中へと己のモノを押し込める勇気の足りない俺の顔が、彼女には最後まで出来そうに無い顔に見えたのだろう。彼女の訝しげな表情が、何故か酷く不安げな表情へと様変わりした。
「……ゃ、離れ……ないで、欲し……い」
哀願するような双眸を見せるは、赦しを乞うように唇を動かす。声は、何かに怯えるように小さな震えを起こしていた。 そこから漏れた息と共に、弛緩する肢体の内側。まるで、”あなたを受け入れたい”――と、そんな意思表示を見せるかのように。
少なくとも、今、言葉を漏らした彼女は、快感を演じているようには見えない。むしろ、”声を出した”ことに対し、俺へと申し訳なさを感じているかのようにも見えた。己の身体が得た感覚と、彼女の真摯な態度で解る。躊躇う必要も、迷うことも、今は何１つないのだ、と――。
不安げに瞳を揺らしたの身体を、俺は１度両腕にきつく閉じ込める。そして、”覚悟は良いか？”と己を胸の内で問い質し、俺は息を呑んだ。彼女を解放した両腕で彼女の膝を再び割り開き、身体を深く割り込ませ、昂ぶりの強まり続ける熱の塊を、恋人の柔らかな陰部へと押し当てる。そして、そのまま緩やかに挿し込んだ。全てを呑み込み終えると、途端に絡みつくような愛しい熱さと柔らかさで、彼女が俺を包んだ。進入を拒んだ先程の強い締めが、今度は、そこから抜け出る事を許さないものへと変わる。彼女の深みで捕まった心地好さに、思わず、俺は溜息を漏らした。
「……さぁ、。声を……聴かせてくれ」
彼女の耳朶を己の唇で撫で、俺は優しく誘うような声で囁く。
１度開いてしまったからには、もう唇を閉じたくないだろう？
お前の心と身体は、俺を素直に受け入れてくれたのだから――。
と繋がったままの姿で、俺は壊れ物を扱うかのように、彼女の身体の輪郭を掌でなぞり続ける。細い肩、浮いた鎖骨、華奢な二の腕から続く小さな手の先。可愛く、緩い曲線の白い双丘を脇に滑り落ち、細い腰元から、臀部を解すように撫でた後、臍周りを緩く這い上がるように手の先を進め、柔らかな弾力を持つ双方の乳房を包む。
「ぅ、あぁ……やぁ、ゃ……っ、ぁ……ん、あっ……」
触れれば、触れたところに反応して音を鳴らす繊細な楽器のように、口元を僅かに震わせて声を零す。高く低く、鋭く鈍く――多彩な音色を柔らかな唇で響かせて。
……ほら、この声に眩暈がしそうだ。
甘く響いて聴こえる、魅惑的に濡れた声――。
一糸纏わず、美しく鳴く姿は――きっと、天の女神にも負けないだろう。
天界にいて美しい声で鳴くという迦陵頻伽にすら――。
俺は瞼を閉じ、耳を澄ます。微かに響く、空気の震え。艶めいて落ちる吐息と、相俟って零れる濡れた音。自分が組み敷くが、どんな表情を浮かべているのかが、手に取るように想像出来る。瞳で見て感じるよりも、もっと身近な存在で――自分の傍にいる、とから教えられる。
音、１つ。
されど――音１つ、だ。
俺は、ゆっくりと瞼を上げた。眼前を見下ろせば、愛しい彼女の顔が見える。
つまらない意地を張っても、愛したい存在が――。
「もう……口は、塞ぐな…………」
「はぁ、ん……ゃ、やぁ……ぁ、ぁ……ぅ、あぁ……っ！」
彼女の両膝の裏へと左右の腕を通した俺は、上体をベッド上へとグッと近付ける。俺に窮屈な体位にさせられ、上気した赤い頬のが苦悶の表情で唇を歪ませる。今にも泣き出しそうだ。掌で触れられない代わりに、愛情を乗せた己の唇で、彼女の上唇を柔らかに食む。――”もっと鳴け”と言わんばかりに。
緩やかな弧を描くように腰を左右へと揺らした後で、俺は漣のような強弱で焦らすかのように彼女へと腰を打ちつけ、彼女の身体を快楽へと責め立てる。甘く濡れて、自分を欲しがる声は、いつもこの時でしか聴けないものだ。それを惜しく感じつつも、この刹那だからこそ、素直に開かれた心と身体で発する声が極上で甘美なものして、俺の五感に記憶されるのだろう。
愛しさで触れ、全身を包むように抱くから……解った。
お前の――俺に対する想いの本気を、こうして感じられるんだな。
嘘も偽りも無い互いの心と身体で、こうして繋がってるから――。
律動の激しさに身を捩るの身体へと、俺は片腕を回す。逃げ場を失った彼女が、迷わず、細い両腕で俺の首を掻き抱く。聞いて飽きる事のない極上の甘い声を震わせ、は鳴き続けた。俺の耳朶を愛撫するように、柔らかな吐息を吐き出して――。
極楽浄土に住めない彼女は、この瞬間を俺の為にだけ鳴く。
世界で唯一の――俺の、愛らしい迦陵頻伽として……。
カチ、コチ、カチ、コチ、カチ、コチ――と、鳴る２つの置時計の秒針を耳にしながら、鉛のような重くなった裸身を放り出した格好で、皺の波打つベッドシーツ上へと伏せた俺は、横に並んで伏せるへと目を遣り、唇を動かす。
「女の子が演技出来るかは判らないけど、の本気は判るもんだな」
”して良い”といつも色好い返事を返す彼女と、先程までの情事中のを思い返しながら、隣に寝そべる彼女の長い髪を一撫でした。
最初のはともかく、最後は……いつものだったし。
それなら……あれは、どう考えても――お前の、”本気”だろ？
右半身を上にした横臥へと体勢を変えた俺は、目の前に見えるに眦を細め、見詰める。すると、視線を感じたらしいが顔を上げ、俺を見た。しかも、大きな瞳を眇め、どこか疑うような眼をして――。
「案外、大石先輩こそ……演技が出来たりするんじゃないですか？」
「まさか！ ……男に、それは無理だろ？」
疑わしいと言いたげな口調のが、タオルケットを首元まで引っ張り上げて俺へと問う。タオルケットが肌上を勢い良く擦り上がっていく感覚を感じながら、俺は彼女の問いに双眸を瞬かせた。
「どうしてですか？！ ……やってみなくちゃ、判りませんよ？」
「演技も何も無いぞ？ 一目見れば、一目瞭然。男は”単純”だからな」
先程、俺への好意を語った彼女の可愛い唇が、つんと上向く。面白くなさげな顔を見せ、が首元まで上げたタオルケットに包まった。芋虫のような格好の彼女を眺めて、俺は苦笑して答える。
俺が……演技？
何で、そんな事をする必要があるんだ？
第一、男の興奮度なんか、その……見た目で判断出来るじゃないか！
だから、演技なんか――絶対、無理だぞ？
俺の答えに、が殊更大きく目を剥いた。俺の顔を見た芋虫姿の彼女は口を噤み、大きな目を動かして、今は隠れて見えないものを意識するかのように、俺の下肢の辺りを凝視する。彼女の視線を追った俺も自身の身体へと視線を落とした。
「み、見ればって言われても……そんなトコ、いちいち見ません！」
が俺の下肢辺りから視線を剥がすと、その眼を俺の顔へと戻して、慌てて答える。素直な彼女の可笑しいぐらいの慌て振りに、俺は白い眼をし、無言でを眺めた。
そうは言っても、……。
お前、今……俺のドコを、本気で直視する気だったんだ？
まぁ……直視されたぐらいで、今更、どうなるって事も無いけどな。
お互いに、生まれたままの姿を何度も晒している恋仲だ。少々、に直視されたぐらいでは何とも無い。確かに、女の子にマジマジと見られるのは、若干、引き気味になる気もするが……。そんな事を、俺は色々と思い巡らして、ふと、思い出した。俺を困らせた好奇心旺盛なへの、ちょっとした罰を――。
「それにしても、女の子が本当に演技出来るとしたら困るよな。……今日のみたいに」
俺は横臥の姿勢から、芋虫娘と同じ格好で身を伏せる。顔だけをへと向け、浅く溜息を零した。
お前のおかけで、俺の方が危うく自分を見失いかけたんだ。
息を詰めていれば、身体は硬直したように力が入るものだ。
当然、下腹部にも力が加わり、男のものを受け入れる場所もきつく締まる。
少し考えれば解る事なのに、そんな事にも気付けないぐらい動揺したんだぞ！
さぁ、少しぐらいは……ここで、”お返し”をさせてもらうからな？
眉間に皺を寄せ、しっかりと困り顔に見えるように、俺は表情を作った。タオルケットを広げたが、伏臥の姿勢から、左半身を上へと向けた横臥の姿勢に変わる。胸元がはだけても気にも留めず、が俺の顔を真剣に見詰めていた。
「えっ？！ な、何のことですか？！」
「いやいや、驚いたよ。したいのか、したくないのか良く解らないまま始めたのに。……あの声で、演技だと言われたら厄介だよなぁ」
”も演技が出来る”と、俺に思わせる事が出来たのにも気付かず、彼女は俺の困り顔を見て、微かに眉間を寄せる。
”男として、強姦魔になるのか？！”と、俺は危惧したんだぞ！
好奇心旺盛過ぎるお前も――少しぐらいは、困れば良い。
再び、浅い溜息を零した俺は、薄青のベッドシーツへと額を着けた。ガックリと項垂れたように見せ、俺はの出方を待った。
「なっ！ ちょ、そんな……っ！ え、演技なんてしてないですよ？！」
俺が首を折った瞬間、飛び付く勢いで俺の右半身へ身をぴたりと寄せたが、涙目になって首を左右に強く振る。彼女自身が口にした言葉を、は一生懸命になって否定した。
「……”声が出たら全部演技です”って、あれだけ豪語したのにか？」
可愛い彼女の姿に、悪戯心が再び疼く。俺は真面目な表情を作って顔を上げ、思ったよりも近くにいるの瞳を覗き込んで訊いた。
「うぅ……そ、それはそうですけどぉ……」
俺の悪戯心にも気付かないは、大きな瞳を伏しがちにし、しょぼんとした表情で、言葉を詰まらせる。彼女自身、大見得を切った手前、素直に感じた声を出してしまった事を恥じ入っているようだ。その姿が、可愛らしいこと、この上なかった。
の奴……困ってる、困ってる。
吹き出して盛大に笑いたいのを堪え、俺はへと続けて喋りかける。
「うーん……。あの声が演技だって言われたら、自信失くすよなぁ……」
ちらり、とに視線を移すと、”信じてください！”と訴えかける眼で俺の顔を見詰ていた。その視線を彼女から外した俺は、震える口元を隠すように、のいる側と反対の方へと顔を背ける。
「ぜ、絶対演技してないもん！ さっき、”本気は判る”って言ったじゃん！ もういいですよっ！！」
顔を背けた俺に対し、随分と臍を曲げたらしいは、腹を立てた様子で言葉を捲くし立てると、タオルケットを全て独り占めする勢いで引っ張り上げた。丸裸にされそうな俺は、伏臥の姿勢から上体を反らし、慌ててタオルケットの端を掴んで、辛うじて下肢を隠せるだけの面積分を確保する。
うわ……、しまった！
調子に乗って、少し意地悪をし過ぎたか？！
目の前に転がる蓑虫状態のを見て、俺は思わず目を剥いた。この丸まった感じからして、相当、彼女は怒っているに違いない。微動だしなくなったを見た俺は、固唾を呑んだ。
「だって……大石先輩が、どっちが良いか……ハッキリしないんだもん」
抱き合う前に話していた声の有無についての件を、彼女は口にした。くぐもった声は、が腹を立てていることよりも、拗ねていることを俺に教える。このの様子からして、はっきりとどちらが良いのかを断言しない俺に、彼女は機嫌を悪くしたようだ。しかし、俺からすれば、この一件に関しては、言い分があった。
「どっちが良いとかって、そんなの無理だよ。……ほら、は恥ずかしがって我慢するだろ？ まぁ、それが可愛いというか、何て言うか……」
「じゃあ、やっぱり……声の無いほうが、好きなんじゃん！」
拗ねて俺へ背を向けた蓑虫のを右腕で引き寄せ、頭から被るタオルケットを剥ぎながら、俺は語る。大人しく剥かれてたは、彼女の背にいる俺へと、また拗ねた声を聞かせた。どうやら、”声を出さない”と決めてた彼女が、先程の結果で、”声を漏らすしかなくなった”のが、嫌だったのだろう。俺に腹が立つというよりは、が彼女自身にも腹を立てているのかもしれないと思えた。微妙な臍の曲がり方から察すると、俺の原因との原因との半々ぐらいが合わさっているようだ。彼女の背後から、その柔らかな頬を覗くと、ぷっくりと膨れ上がっている。 膨らむの頬へと右手の掌を添えた俺は、思いっきり、その膨らみを押さえ付けた。”プッ！”と、鋭い破裂音が、俺の自室内で響き渡る。
「それは違うぞ？ 我慢の限界で我慢し切れず、自然に漏れる声も良いんだ。それなのに、お前が白黒つけるかのように、”どっちかにしろ！”って言ったんだぞ？」
拗ねようが無くなったの背を抱え込み、先程の語りの続きを彼女へと聞かせる。すると、右腕に抱えたが、途端、身動ぎを始めた。
「なっ、何を語ってるんですか？！ 大石先輩の、エッチ！！」
あうあう、と口元を動かすが、凄い勢いで俺の方へと向き直ると、酷く赤い顔を見せ、両手で俺の顎下を押し退けながら怒り出した。
……あっ、しまった！！
つい、本音が……っ！
俺からすれば、回答が曖昧になるのは、”女の子は恥じらいながらも、少々乱れるぐらいが可愛い”と思うのだから、仕方が無い。それをどちらかに分類するのは、俺には至難の業だ。
「もう、次にする時は、絶対に演技してやるんだからっ！！」
”絶交してやる！”の声に近い音を含んで、が俺の顔を押し退け続ける姿勢で、更に、言い放つ。聞き捨てならないの言葉ではあったが、それが彼女の強がりだと判る今の俺には、あまり効果は無かった。
「アイタ、イタタ！ そ、それは、多分……無理だと思うぞ？」
「そ、そんなコトないですもん……っ！！」
顎下にかけられたの両手を横臥の無理な体勢から掴まえ、力尽くで外しながら、俺はへと笑いかける。負けん気の強い彼女は、俺の言葉を聞き、唇を尖らせた。
「さっき言ったろ？ 演技の有無はともかく、が本気かは判るって」
「そんなの、どうやって判るって言うんですか？！」
唇が尖るを前に、俺は苦笑する。先程、俺自身の身体の熱が、弾けそうな程に高まる彼女の刺激的な”本気”を、見せてもらったところだ。早々、簡単には忘れられるものではない。それを知らないのは俺の眼前にいる本人――だけ、だ。何も知らない彼女は、俺へと向かって、”証明出来ますか？”と――言いたげな眼をして見せた。
「どうやってって……。ほら、いつもが、俺を素直に感じる顔も見てるし、感じてる声も聴いてるし。……間違えようが、無いだろ？」
向き合う恋人を前にし、事に及んでいる最中の説明をするのは、俺でも相当照れ臭い気持ちになる。その証拠に、俺の照れ臭さが移ったのか、機嫌の悪かったも、気まずいらしく、気恥ずかしそうに俯いていた。俺の言いたい事は、彼女にも充分伝わっている様子だ。最後の一文は、俺の胸の中にだけ留めておく。”俺を受け入れたがるの身体の開き具合までも、指先１つで判るようになった”――という事は。
余計な一言は、口にしないに限る。
さすがに、こればかりは――”踵落としの刑”、だよな。
俺の思慮深さに気付きもしないは、相変わらず、唇を尖らせて白い眼で俺を眺めていた。
「お、大石先輩ってば、ジロジロ見過ぎですよ！！」
「えぇ？！ 声は……ともかく、だって、俺の顔ぐらい見てるだろ？」
「そ、そんな余裕なんて……無いですもん……」
じとり、とした視線を真正面の至近距離で送ってくるの言葉に、俺は目を丸くした。男女の交接は特別な行為なのだから、相手の艶のある表情や仕草が見たくなるのは当然だろう。それを責められてしまった俺は、思わず、へと訊いた。すると、俺の問いに、彼女は困ったように顔を俯かせ、言葉に詰まりながら答える。
「……ま、そんな訳だ。の本気は、見て触れれば、俺にも解るぞ？」
「じゃあ……”女の子は演技できない”ってコトですよねぇ〜……」
「そうだな。……”に限って言えば”、だけどな」
大雑把に結論を纏めた俺は、の額に乱れてかかる前髪を右手の先で梳いた。くすぐったそうに首を竦めて残念そうに話すと、は困ったように笑う。その顔を見詰めた俺も、同じように眦を細め、笑って言った。
緑の香りが濃くなる微風の吹き込みを己の肌で感じ取りながら、俺は傍に在る温もりへと両腕を伸ばし、抱き込む。自分より小さい温かな身体は、汗の引いた後でも、不思議と花の様な匂いを纏っていた。何度嗅いでも飽きのこない、胸の内一杯に広がる甘い香り。花に誘われる虫とは、こんな気持ちでいるのだろうか。そう思いながら、俺はの長い髪に隠れる首筋へと鼻の先を寄せ、幸せの源になる空気を吸い込もうとした。すると、俺が彼女の首筋に鼻先を寄せる前に、が俺の懐に潜り込んでくる。運悪く、花の香りを胸一杯に嗅げなかった俺は、浅い溜息を愛しい彼女の旋毛へと吹きかけ、苦笑を漏らした。
俺の懐に潜り込んだを少し上から覗き込んでみると、先程の俺と同じように、彼女が鼻先を俺の胸元の肌上へと寄せている。”今の俺、絶対に汗臭いぞ！”――と思い、急いで上体を彼女の鼻先から離そうと試みたが、さすがは――引っ付き虫。俺の汗臭さなどものともしないのか、嬉しそうな顔を見せ、幸せそうにぺったりと貼り付いている。”タテ食う虫も好き好き”――ふと、そんな言葉を俺は思い出した。
随分と甘えたな引っ付き虫に、俺も好かれたもんだなぁ……。
眼前に見えるの頭に右手を添え、やんわりと髪を撫で付けつつ、俺は双眸を細める。すると、俺の身体のどこかを満喫したらしいは、もぞり、と動き、好奇心の強い煌く双眸で俺の顔を見上げるのが解った。互いの身体に少しだけ隙を作り、視線を合わせる。
「えっと、私の本気の声は……どんな風に聞こえるんですか？」
と目が合った途端、興味津々な声で、彼女は俺へと訊いた。首を傾げる仕草は、大人びたの顔に似合わず、彼女を酷く幼げに見せる。
「俺からしてみると、それは……迦陵頻伽の声だと思うよ」
の問いに、俺は素直に答える。先程、耳にした彼女の甘美な熱の篭る声を少し思い返しながら、己の身体の奥で未だ燻る熱の揺らぎを感じつつ――。
迦陵頻伽は――極楽に住むという想像上の鳥だ。美しい女の顔を持ち、美しい声で鳴くと言う。日本語の名は、梵語の”好声”の音訳からきているらしい。想像上の鳥の声がどのようなものかは判らないが、一説によると、延々聞いても飽きのこない声で説法を説く神の声――だという。
説法を延々聞いていたいと思える声なのだから、余程の声音だろう。それに匹敵する飽きのこない声など、この地上に、そうそうあるものでは無いだろう。とはいえ、存在しないというものでもない。現に、それを――俺の1番身近な存在が、その身をもって教えてくれる。
「”カリョウビンガ”って動物ですか？ 一体、どんな鳴き声なんです？」
「辞書を引けば、その答えは出るけど……今、知りたいのか？」
俺の答えは、の想像力の範疇外だったらしい。更に、首を傾げてが悩む。そんな彼女を見詰め、ある考えが閃いた俺は、好奇心の満ちる大きな瞳を覗き込んで訊いた。の答え次第によっては、直ぐに、彼女に答えを教えてあげられる選択権を委ねた。の好奇心旺盛さを逆手に取った俺の策――。
「だって、聞いた事無いです！ ねぇ、大石せ……、ん、ぁ……ふ、っ」
案の定、好奇心を剥き出しにする大きな双眸は、俺の思惑にきちんと引っ掛かった。元気に話し出す可愛い唇へと封をするように、俺は己のものをのものに重ね、上唇を優しく吸い上げて、下唇を甘く噛む。それを３度程繰り返した後で、俺は可愛い恋人の唇へ自由を与えた。
「それじゃ、お前にも聴かせてあげるよ。今から……もう1度、な」
「い、今から……っ？！！」
答えを知りたがったへ柔らかな笑みを見せた俺は、彼女の身体から右手だけを離し、柔らかな熱を持つ乙女の頬へと添えて答える。その動きに、は俄かに忙しない瞬きを繰り返し、驚きの声を上げた。彼女の声に動じず、俺は己の額をの額へと押し付ける。
その瞳で答えを知りたがったのは、……お前だろう？
俺から……きちんと学んでくれよ？
瑞々しく大きな双眸が揺れる。その様を目に映した後、俺は瞼を伏せ気味にし、”愛らしい鳴き声を響かせるように”――と祈りを込め、の唇に同じもので優しく触れた。軽い口付けを交わした後、俺は笑みを湛えた口でへと言葉をかける。
「……さぁ、美しい声を聴かせてくれよ？」
「ひぇ〜〜！！」
地上に生きる人間の腕に縫いとめられた迦陵頻伽を、心底愛でる手付きで、俺はの片頬をやんわりと一撫でした。俺の行動に、危機を感じたのだろうが、囲いから逃げ出そうとする雌鶏のような荒さで、身動ぎをする。しかし、それぐらいの暴れで手を離すほど、俺も柔な男じゃない。
「堪らなく可愛い声だし、凄く甘えた声で鳴くからな」
「ちょ、強引な……！！ あ、っ……ぁあ？！」
含み笑いを見せながら、俺はへと言い聞かせる。引っ付き虫の割に、こちらが捕まえると、直ぐに逃げたがる。実に、可愛くて厄介な虫だ。強情な抵抗を受け流しつつ、の弱い箇所を指先と掌で次々に触れていく。
想い合う相手と唇を交わすだけで、己の身体の内側で、いとも容易く劣情の火が点った。”鳴かせたい”――そう己の本能が感じたら、それからは逃れる術はない。の愛で方を隈なく知る俺が、柔肌を纏う彼女の肢体を、手放せる訳が無かった。策を弄してでも捕まえたい――俺の、愛しい迦陵頻伽。
、悪いな……。
今日は諦めて、あと少しだけ……俺に付き合ってくれ。
胸の内で詫びた俺は、腕の中へと捕まえたの身体の隅々までを撫で始める。俺の掌の熱を受けたは、慣らされた愛撫によって、声音の色を変えていく。
「ははっ。……、心して聴くんだぞ？」
「……やっ、ぅ……やぁ……っ！」
愛しい恋人の耳元で囁くように語りかけた後、そこへと口付けを静かに落とす。最初から素直なは、欲情の高まりが早いらしく、言葉で答える術を忘れた鳥のように、未だ少し濡れ切らない声で、切なげに鳴き始めていた。
それにしても、さ……。
は演技どころじゃないって顔で、こうやって……羞恥を感じて甘く鳴くから、いくら鈍い俺だって、もう――何も、間違えようがないよ。
……ホントに、な。
俺の両腕にの身体を抱え直し、囲いから飛び出さないように、少し強めに抱き締める。恋情の想いを唇に乗せ、己の為に鳴く者に俺は甘い褒美を与えるかのように、その柔らかな唇を食んだ。愛情を注ぐような、緩やかな愛で方で――。
……ほら、この声に眩暈を覚える。
甘く響いて聴こえる、魅惑的に濡れる声――。
淫らに震え、美しく鳴く声は――天界の迦陵頻伽に劣らないだろう。
この地上で最も愛らしい鳴き声が、少し大人の恋を奏でる。
世界で唯一の――俺の、愛しい迦陵頻伽……。
迸る熱を呼び覚ますの甘美な息遣いを耳にし、まどろみの中に身を置く錯覚を覚えた俺は、静かに瞼を下ろし、切なく濡れる鳴き声を耳にして、暫し、その甘い声音を聴き入ったのだった。
【END】