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初夏の前触れ、六月の雨。
そして、初めて袖を通す夏服。
たまに晴れれば、肌を焦がすような太陽の光。
すでに制服の半袖から覗く二の腕は、半袖ウェアの日焼け跡を残す。
その日焼け跡は、徐々に輪郭を浮かび上がらせる私の気持ちとあまりにも、ソックリ過ぎて……。
揺れる感情。
乱れる思考。
モヤモヤとハッキリしない心の声を知りたくて――……。
すでに、晴れた日中の日差しは暑い。
けれども、天から降る雨は不思議と冷たい６月。
そして、初めて私は長袖を脱いだ。
それから、初めて長袖を脱いだ姿をみせた私の大好きな先輩。
――衣替えの季節。
今まで制服の長袖に隠れていた腕があらわになった。
細くともしっかりとしたその輪郭に、ハッとする。
いつも忘れがちになる想い。
他の先輩達と比べれば、やや細身な私の大好きな先輩。
だけど、私と比べれば……その違いが、シッカリと見えてしまう……。
先輩は”男の子”なんだよっていう証明みたいで。
私よりも焼けた二の腕が頼もしく、細くとも無駄なものがないシャープな輪郭。
私は、自分の柔らかで頼りなさげな二の腕を不意に掴まれ、言葉を失う。
何も言わずに、半袖セーラー服から覗く二の腕を掴んだ先輩のあまりにも真剣な眼差し。
他の女の子達よりは、お転婆と運動部の分だけ鍛えられた二の腕だけど、運動選手としては、まだまだヤワな発展途上の筋肉。
私の腕は……先輩が心配になるほど、プヨプヨなのかな？
今だって、笑いもせずに掴んだ私の腕見てるし……。
”この腕でレギュラー選手になるつもりか？！”って思われたら……どうしよう？！
先程から沈黙を纏う私の大好きな先輩へと、おそるおそる声をかけてみる。
「お、大石先輩……？」
目の前に居る先輩は、２学年上の先輩。
男子テニス部副部長と学級委員長を務める秀才な３年生・大石秀一郎。
私の腕を掴んだミクスドペアの相方となる大石先輩が、手元を見ていた視線を私の顔へと移した。
何を言われるのか解らない私は、先輩の口元をしっかりと見詰めるように目を見開き、言葉を聞き漏らさないようにと構えるが――。私の考えていた言葉とは、全く違っていた。
「……あ、すまない」
私の二の腕を放すことなく、申し訳なさそうな声でポツリと呟いた大石先輩。スラリとした長い指先は、依然として私の二の腕を掴まえたまま。
いつもの様子とどこか違うような雰囲気を漂わせる大石先輩。
正直、どうしていいのか判らず、自分の視線を先輩の顔から腕へと移した。
白色の半袖シャツから覗く先輩の二の腕は、細くありながらも優美なラインを描く。
日に焼けた無駄のない筋肉を持つ腕は、頼りがいのある先輩の腕。くっきりと半袖ウェアの日焼けの跡が見て判る。
私を陰日向となって支えてくれる腕。
暑い日差しの下でも、冷たい雨の中でも、私を引っ張り続ける大石先輩の腕。
しっかりとした輪郭を持つ大石先輩二の腕に、不意に感じる。
どうしようもないほどに、甘えたい感情。
今すぐにでも掴んで、離したくない衝動。
そんな私の気持ちに気付かないで未だ眉間に軽く皺を寄せ、難しい顔をしている大石先輩。
私の二の腕を掴んだまま、またポツリと話す。
「。……ちゃんと、しっかりご飯食べろよ？」
「……え？！」
大石先輩の可笑しな言葉に、私は思わず困ったように笑って聞き返してしまった。
まさか……私の腕がプヨプヨで頼りないのは、ご飯食べてないからだ、と思われてしまったの？
私って他の同学年の女の子よりは、断然大食いなのに！！
ちゃんと食べてるって、安心させてあげなきゃ！！！
「やだなぁ〜！ 大石先輩ってば、ちゃんと人の倍は食べてますよ！！ 体が資本だもん♪」
心配性の大石先輩へ笑いながら答える私。
先輩に掴まれてない自由の利く手を動かし、大石先輩の二の腕を軽く叩いた。そこは思ったよりも、しっかりとした感触。私の腕とは比べ物にならないほどの、強さを秘める。
確かに細い二の腕だけど、私を支えるには十二分な二の腕。
それを知れて、こっそりひっそり嬉しい気分。
「……そ、そうか。……それなら、良いんだ」
まだ少し信用していないのか、大石先輩の声が硬い。
笑う顔も、どこか爽やかでなければ、よそよそしい感じ。
「私、元気ですよ？」
先輩を安心させようと、くるくると元気に動く瞳をみせた私だけど、大好きな人を思ったよりも間近で捉えてしまい、胸の音が大きく跳ねる。何故か苦しくなる程の想いを感じる一瞬。
大石先輩を掴んだ自分の手を放せなくて――。
それから、大石先輩が掴む私の二の腕も解けなくて――。
確かにテニス部の他の先輩達に比べれば、私の大好きな人は細身なシルエット。
それでも、自分の掌にある感触は見た目と違い、あまりにも力強く、頼もしい……。
日頃、現実味を帯びて感じることのなかった”男の子”らしさに気付いてしまい、私は困ってしまう。
大石先輩に掴まれた自分の二の腕を、急に恥ずかしく感じる。
半袖の白シャツから覗く大石先輩の二の腕は、私とは明らかに違い過ぎて……。
「あぁ。……そうみたい、だな」
大石先輩の答える声が、どことなく揺れる。
でも、それどころじゃない程に高鳴る私の胸の音。
胸の内で生じる想いが、嵐を呼び起こすかもしれない。
まだ、あと少し解らない振りをしたい特別な感情。
視線が合うとばれてしまいそうな心の中を覚られまいと、慌てて伏せてみる瞼。
急に自由になる自分の二の腕に、大好きな先輩の温もりが逃げるような感覚。
ずっと離れていたくない衝動。
もっと近付きたいと思う感情。
「大石先輩！」
迷子になった子供が母親を見つけたときのような声を上げ、私は大石先輩の二の腕を、力の限りに掴んで見上げる。
かなり強く掴みすぎたみたいで、大石先輩の眉間の皺が一気に増える。
「……った！」
大石先輩の口から短く漏れた痛がる声に、思わずハッとする私は、慌てて力を緩める。
「あ！ ご、ごめんなさい！！」
慌てて掴んでみた二の腕が痛みによって強張ると、思っていた以上に硬い感覚を自分の掌に覚え、驚いた。
それに、離れたくない一心で掴んでしまった両手の言い訳も思いつかないで焦ってしまう。だから、大石先輩の二の腕を見詰めながら思ったことを素直に口にしてみる私。
「……大石先輩の二の腕、なんですけどね」
「え……？ な、何？！」
私のやや上から降ってくる驚いたような大石先輩の声。
「どんな筋肉がついてるのかなぁ〜？ ……って思ったんです。先輩は細いのに、ちゃんと筋肉がついてたんですねぇ……」
不意に感じた”男の子”らしい部分。
初めて垣間見た白シャツから見える二の腕で、大石先輩が優しいだけの人でないことを知る。
そして、頼もしくもある私を支える腕は、どこまでも優しさを含み、強さを秘める。
離れたくないくらいに、大好きな人の腕。
感心したような口調で話した私は、大石先輩の顔へと視線を一点集中。
「――悪かったな、細くて！」
褒めちぎった訳ではないが、決して怒るような言葉を言った覚えのない私。
予想外な大石先輩の不機嫌な声が発せられると同時に、先輩は私の脇をすり抜けた。
「へ？ ……あ、ちょっと！ 大石先輩、置いていかないで！ 何で怒ってるんですか？！」
振り返れば、あっと言う間に開かれる距離に私は慌てて後を追う。
でも……何がいけなかったんだろう？
この距離が縮まって無くなったら、隣に並んで笑いかけよう。
”うんと、うんと大好きなんです！”って気持ちを含んで。
先輩から感じた特別な気持ちを、胸の小箱に閉じ込めてしまうけど。
もう少しだけ、心の中で温めていたいから――……。
紫陽花が雨に濡らされで色付いたなら、恒例の梅雨時季となる６月。
先輩が長袖を脱いだなら――……。
いつもと違う一面を教えてくれる先輩に、膨らんでいく乙女の恋。
頼りになる二の腕が嫌というほどに、”男の子”らしさを私に見せつける。
強さを秘める感触と優しい温もりが、いつまでも自分の掌から消えなくて……。
今しばらくは、知らない振りをしていたい厄介な感情。
傍にいたい、と芽生えてしまった特別で厄介な恋情。
すべては、衣替えのせいなのかなぁ……？
長袖白シャツの制服を脱いだなら、私を支えてくれる二の腕に胸が高鳴り、恋を知る。
――６月は衣替えの季節。
今まで見えなかったものを、垣間見てしまう季節。
今まで眠らせていたはずの感情を、うっかりと起してしまう恋の季節。
優しさ含み降る雨の下、袖触れ合うのも他生の縁。
並んで歩けば気付かないで、たまに触れ合う制服の袖。
素肌が触れたら、気恥ずかしさに俯かないで。
頼りになる二の腕に
支えられたい二の腕を
静かにそっと寄り添わせるから――。
【ＥＮＤ】