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少し冷えた秋風が校舎内へと吹き込む。
私の立つ階段の踊り場も、窓から入ってきた風がスカートの裾を揺らしていた。
新校舎のとある階段の踊り場から、私は何気なく下の階を見下ろす。
２年生の教室がある廊下と階段が面した場所に、居るはずの無い先輩の姿を見つけた。
「……大石先輩？」
ちょうど話の途中で先輩の視線が動き出し、不意に視線が合う。
煌く双眸がガラス玉のように見え、綺麗過ぎてこの世の清いものに感じられた。
先輩の瞳が三日月の弧を描くと、途端に優しい光を宿す。
いつも笑いかけてくれる表情が、まるで柔らかな月光のようで――。
だけど、何故か今だけは違っていた。
不意に合った視線を、大石先輩は不自然なまでにゆっくりと外す。
まるで目を泳がせるように、ぎこちなく移る視線。
”あれ？聞こえてないのかな？ ……目が合ったと思ったのは、私の気のせい？”
そう思った私は、先程よりも大きな声で呼んでみる。
「お、大石先輩！」
けれども、振り返る気配すらない先輩の背中。
どうやら大石先輩と話していた相手は、桃ちゃん先輩だったようで、大石先輩の向かいから顔をひょいと覗かせた。
それから、大石先輩へ二言、三言と話しかけている。
”……桃ちゃん先輩だって気付いたのに、どうして……振り返ってくれないの？”
不安に思うと、階段を１歩降りることに躊躇う。
”もし、近付いて声をかけても無視されたら……。”
そう思うと、両足は一気に鉛のように重く感じられた。
チラチラと視線だけを送って、様子を伺ってみる。
桃ちゃん先輩は、私をチラッと見ると小さく笑う。
だけど、やっぱり大石先輩は私へ背中を向けたまま――。
くるりと回れ右して、上の階へ戻ろうと私は決める。
「……あっ！ お〜い、！！」
階段を上がろうと１歩を踏み出そうとした私を、桃ちゃん先輩の声が呼び止める。
仕方なく、その場へと留まって振り返ってみる。
「……何ですかぁ〜？」
少しふてくされたような声を出し、桃ちゃん先輩を見下ろした。
桃ちゃん先輩は、大石先輩をチラリと見ると笑い、それから私を見た。
２人の秘密ごとに仲間外れされているようで、私は少しつまらなく思う。
「いいんスか？」
桃ちゃん先輩の左腕は、大石先輩の腕を肘で軽く突付く。
けれども、やっぱり大石先輩の背中は振り返らずにいる。
私はちょっぴり悲しく思い、軽い溜息をついた。
”……私、何か嫌われることしちゃったのかなぁ〜？”
「あ、あの！ もう上へ戻りますからっ！！ 邪魔してごめんなさい！！」
ペコリと勢い良く頭を下げて謝り、上体を起こすと、すぐさま振り返り階段を２、３歩上がる。
バタバタと慌しい私の靴音が響き渡ると、それと同時に、またもや私を呼び止める声がした。
「あ、とっ……！」
とても聞き慣れた、良く通る声。その声に、私は足を止めた。
けれども、振り返る勇気は無く、ただ俯いて靴先を見詰める。
しばらくして、少し躊躇いながらも、ちょっとだけ肩越しに大石先輩を見下ろすと、大石先輩は困ったような表情をして、何も言わずに私を見上げていた。
桃ちゃん先輩は、私と大石先輩を不思議そうな顔で交互に見ている。
階段を挟んで無言になる私と先輩達の間を、冷えた風が駆け抜ける。
私のスカートの裾を、ふわっと大きく揺らした。
――パシッ！
小気味よい音が辺りに響く。
それと同時に、私は目を丸くした。
私から慌てて視線を外した大石先輩が、桃ちゃん先輩の目元を両手で押さえつけると、黙って自らも俯いた。その横顔は、うっすらと赤味を帯びる。
”……も、もしかして？”
大石先輩が泳がせるように視線を外した理由が、今やっと理解出来た気がした。
私は勢い良くガバッとスカートの裾を両手で押さえ、階段を駆け降りた。
それから、大石先輩との距離をグッと詰め、先輩の顔を覗き込むようにして問う。
「も、もしかして！ もしかして、見えちゃいました？！」
「……み、見ようなんて思ったわけじゃない！ その、何と言うか……急だったから、見えたというか……」
「……見えちゃったんだぁ〜……」
大石先輩の顔は見る見るうちに、真っ赤になり、眉を寄せて困り顔になるのに対し、私は見る見るうちに眉を寄せ、今にも泣き出しそうな顔をして見せた。
「あ、いや！ その、ごめん！！ ホント、そんなチラッとしか見えてないし！」
「大石先輩。さっきから俺の顔見て困った顔してたのは、そのせいなんスか？」
私を宥める大石先輩の背中から、桃ちゃん先輩がひょいと顔を見せて大石先輩へと言う。
「、泣くほどのことじゃねぇだろ？ ど〜せ、仔ブタの絵が入ったパンツとかなんだろ？」
そう話して、桃ちゃん先輩は思いっきり肩を揺らして笑った。
「ひど〜い！！ そんなパンツじゃないですもん！！！」
私は両手の拳を振り上げて、大石先輩の背中へ隠れる桃ちゃん先輩へと怒る。
それに合わせて大石先輩が、桃ちゃん先輩を諌める。
「こら、桃！ 仔ブタじゃないぞ！ からかうのは、止めとけよ？」
”さすが妹を持つお兄ちゃんだね。乙女の気持ち解ってる！同じ兄でも、桃ちゃん先輩と大違い！！”
そう感心する私が桃ちゃん先輩を白い目でジロリと軽く睨んでいると、大石先輩が優しい顔で笑って、私の頭をゆっくりと撫でる。
笑いかける表情は、やっぱりいつもと同じ……柔らかな月光のようで――。
ゆっくりと頭を撫でてくれている大石先輩へ、私もにっこりと笑みを返す。
そして、そんな私を見下ろしていた大石先輩が、桃ちゃん先輩へと言う。
「桃。だって、ちゃんと女の子らしい仔犬柄選んでるぞ！！ ……な、？」
――シーン……。
大石先輩の一言で、一瞬にして桃ちゃん先輩と私は絶句し、その場で凍りつく。
それから、ハッとした桃ちゃん先輩と私は、２人同時で叫ぶ。
「「……しっかり、見てるじゃん！！！」」
桃ちゃん先輩と私の声は、２年生教室が並ぶ廊下で思いっきり大きな声をユニゾンさせたのだった。
当然、その場で私を見下ろす大石先輩が真っ赤な熟れ熟れトマトになっていたことは話すまでも無い。
【ＥＮＤ】