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俺が、何をしたというのだろう？
こんな仕打ちは、あんまりじゃないか？！
一体、今日はどれだけ散々な１日なんだろうか……。
今宵の俺と君の出来事は――他言無用。
それならば――。
"秘密"という名を付けようか……。
１週間のJr.選抜強化合宿も、折り返した日の夜のこと。
脱走犯となったを捕まえて合宿所に戻った今宵の俺の、唯一の癒しとなるだろう入浴時間の最終刻限が近付いていた。長い廊下の壁に掛けられた銀色の丸時計を見上げた俺は、重くグッタリとした身体で浴場へと向かう。
就寝時間までの残り時間も、あと僅か――。
当然、大入浴場は既に掃除時間となっていて、出入口は締め切られていた。俺は今まで使用した事のないシャワー室へと行く事に決め、大入浴場の出入口扉の前を通り過ぎ、少し奥まった所にあるシャワー室へと足を運ぶ。静かな廊下には、パタパタと忙しなく鳴る俺のスリッパの音が寂しく響いていた。
就寝時間も近いとあって、俺が辿り着いたシャワー室は、既に寂れている。人の気配が無い廊下を渡った俺は、シャワー室の脱衣所へと繋がる横開閉式の出入口扉に付いている取っ手へ手を掛けてみて、初めてそこに掛かっているものに気付いた。
「おっと、誰も来ないかもしれないけど……札ぐらい掛け直さないとな」
独り言を唱えた俺は、出入口扉に掛けてある"未使用"の札をひっくり返し、"使用中"の文字を表にした。その表記された文字を軽く見た後、俺は1つ頷き、シャワー室の脱衣所へと入る為に出入口扉の取っ手を横へ引いた。室内へと足を踏み入れると、外と同様、中も人の気配は無い。しかし、就寝時間までは電気を点灯させているらしく、蛍光灯の明かりがシャワー室となる脱衣所の室内を、煌々と照らしていた。
出入口扉を開き、目前にある目隠しのパーテーションを避けて奥へ進んで、がらんとするシャワー室の脱衣所へと入る。アイボリーを基調とした壁紙と施錠出来る棚、脱衣所の真ん中には、テーブルのような大きな物置台があり、脱衣所と個別式シャワールームを繋ぐ出入口の擦りガラス付近には、大きな姿見の鏡が壁際に設置されていた。脱衣所の中で1番太い柱の上方を仰ぎ見れば、そこには廊下に設置されてる時計と同種のものが掛かっている。その針の進みを確認した俺は、スリッパを揃えて脱いで、段差のある床上へと上がり、脱衣所の棚前へと進んだ。
この時間にもなれば、幾つも並ぶ施錠式棚は選び放題だ。俺は、シャワールームと脱衣所の出入口から1番近い、自分背に合った高さの棚を選び、手にしていた着替えやタオルなどの手荷物をそこへと預ける。手荷物の無くなった手で、俺はジャージの上着と半袖シャツを脱ぎ、それから左右の靴下を急いで脱いだ。更に、ジャージパンツへと手を掛けたが、不意に視界端で人影を見た気がして、俺はそこで顔を上げた。
――え……っ？！
顔を上げて左横を向くと、大きな姿見の鏡。
そこに映る姿は――自分自身、俺だった。
「お、俺か……あぁ、ビックリした！」
初めて使用するシャワー室の室内の造りを正確に把握出来てなかった俺は、そこに自分の姿を確認し、ホッと息を吐く。物音もしないのに人の気配がするなんて事があれば、それこそ、唯一の癒しの空間が落ち着かないものになるところだった。鏡に映る自分へと苦笑を漏らした俺は、そのまま、ジャージパンツと、その下に穿いている下着を足から抜いた。脱いだものは、軽く畳み、先程自分が選んだ棚の中へと放り込む。その代わりに、棚の中に置いていたスポーツタオルを取り出して手にした俺は、棚を施錠し、個別式シャワールームへの扉を開いた。
先程まで使用されていたのか、シャワールームの空気がモワリとしている。湿気を多く含んだ空間へと入り、俺は後ろ手でシャワールームの扉を締めた。大浴場に比べれば、遥かに狭い。とはいえ、一斉に１５人程の人間が身体を清める事の出来る個室の数を考えれば、決して狭過ぎる事は無いだろう。シャワールームの扉から近い個室を選んだ俺は、シャワーコックを捻りながら、手にするタオルをシャワーラックへと適当に掛けた。
シャワワワーと軽快な音を響かせて、シャワーヘッドから湯が飛び出す。申し分ない水圧で出る湯の温度調節を自分好みにしながら、俺は足場を1度綺麗に流した。モウモウと上がる湯気が狭い個室を暖め始める。それを感じながら、個室のシャワーカーテンを左手でシャッと勢い良く閉めた。
「湯船に浸かれないのは残念だけど、文句は……言えないよな」
疲れた心と身体をリフレッシュさせるには、風呂は欠かせない。就寝時間ギリギリにシャワールームが開放されているだけも、充分ありがたい事だと思う。湯がしっかりと温度調節されたのを自分の左手で確認した俺は、足先に湯を掛ける。肌に当たる湯の温かさが、俺の心をゆっくりと解していく。
足元に掛けていた湯を徐々に上へと移し、右手に持つシャワーヘッドをシャワーフックへと掛け置きした。両手が自由になった俺は、湯を頭から被り、両手で軽く頭を濯いだ後に顔を洗った。軽く汚れを落とすだけで、気分が上向くから、風呂というものは本当に不思議だ。
備え付けのシャンプーやリンス、ボディソープへと目を遣った俺は、最初に頭を洗う事に決め、シャンプーの容器へ手を伸ばした時だった。シャワーラックの物置棚は３段あり、１番下にシャンプーやリンス、ボディソープが置かれ、その上には、洗顔料と石鹸が置かれる。１番上の棚は、ブラシなどが置けるようなスペースが空いているのだが、その１番上の棚に、俺の持ち込んだ物ではない物が存在する事に、俺は気付いた。明らかに、この個室を使用した先人の忘れ物だろう。俺は濡れ手でそれを手にした。既に湿っているそれは、手洗いされたハンカチらしい。水気を切るために絞られたのか、少し崩れてはいるが捻られた姿をしている。
「名前……書いてあると良いけどな」
そう思いながら、絞られた姿をしているハンカチを右手で一振りして広げた。すると、俺がハンカチだと信じて広げたものの本来の姿に唖然とする。
――こ、これは…………ッ！！！
俺の右手で姿を現したそれは、淡いクリーム色の生地にヒラヒラとした繊細なレースが縫われている女性下着――"ショーツ"と呼ばれるものだった。
「イ、イタズラじゃないだろうな？！ ……いや、まさか！」
俺だって、思春期のお年頃。可愛らしい女の子の下着を目の当たりにすれば、気も動転する。とりあえず、俺は自分の置かれた状況を考えた。
――悪戯ならば、わざわざ此処へ置く事もない、よな……？
脱衣所の中央で電灯に綺麗な姿で曝されているほうが、余程驚くというものだ。それに、俺がこの個室を使うかどうかも分からないし、悪戯と考えるには、少々無理があるんじゃないか……？
――やっぱり……忘れ物と考えるしか無いよな？
随分とそそっかしい女の子が居るものだ、と思いながら、俺の右手の先で揺れている春色の日差しのような柔らかなカラーのショーツを眺め続けていた。忘れ物をした女の子の印象とショーツの色合いに和んだ俺は、思わず、微笑む。
「……ハッ！ だ、駄目だろ！ 女の子の下着を眺めるなんて失礼じゃないか！」
己の置かれた状況を思い出した俺は、意識を手元へと戻す。自分の手にするものをどうしたものか――。そう思い悩もうとする俺に、シャワールーム扉のもの凄い勢いで開く音が霧のように湯気の立ち込めるシャワールームで反響する音と、俺の使用するシャワーの放水音が相俟って耳に聞こえた。派手な音が起きたかと思えば、パチパチとタイルの床を忙しなく踏み鳴らす裸足独特の音が続く。
「な、なんだ……？」
驚いた俺は手元から視線を外し、背後を振り返った。すると、シャワーカーテンが、ゆらり、と大きく揺れる。俺の目は、人影のようなものがそこに薄く映っているのを捉えた。
「だ、誰なん――」
両手を強く握った俺が呼び掛ける声よりも早く、シャワーカーテンがシャッと引かれる。それと同時に、飛び込んできたのは、ある人物の声。
「わ、忘れ物、ありませんでしたか？！ ……え？」
血相を変えた顔で個室のシャワーカーテンを開けた人物は、俺の姿を見るなり、目を丸くした。しかし、目が丸くなるのは俺の目の前に立つ人物だけでは無い。俺自身も酷く驚き、目が点になっていた。
「――は？」
やっとの思いで、俺は自分の唇から音を零した。それは酷く間の抜けた声で、日頃の賢しさの欠片も無い。
「な、何で……お、お、大石……先輩……？」
目の前に居るのは、俺の後輩で、しかも今日の脱走犯――だ。白いジャージパンツを膝まで捲り上げた姿に、酷く驚いた顔で、唇をパクパクと開閉させながら、俺の名を口にする。
「お、お、お前こそっ！ 何で、こんな時間にが――」
動揺を隠せないどころか丸出しの俺は、目の前に立つに向って、かなり大きな声で叫ぶと、当然、シャワールーム内では俺の声が大反響を起こしていた。その間に、の好奇心の色が強い瞳は、俺の顔を映すと、そこから視線を下へと移していく。お互い向き合って驚き顔を見せてた俺とだが、置かれた状況の異変に、いち早く気付いたが小さな手で目元を隠すように覆うが、何故かその手の先は全開していて指と指の間から大きな瞳が見えていた。
「……ギ、ギャッ？！」
カエルが踏み潰されるような声を、ワンテンポ遅れて上げたが、顔を赤らめる。
――ん？
……ギャッ？
の動作を訝しく思った俺は、彼女と同じように俺自身の身体へ視線を落として、すぐさま慌てた。
「うわああぁぁぁぁ〜〜〜っ！！！」
酷く驚愕した声は、俺の日頃の爽やかさの欠片まで粉砕するものだった。露わな下半身を隠せるものが、手短かに無い。俺の目の前にある、唯一、自分と彼女を遮れるシャワーカーテンを掴んで、力任せに勢い良く引いた。シャッと音が響くと、閉められては困ると言わんばかりに、が慌てて、俺の閉めようとするシャワーカーテンを両手で押さえる。
「せ、先輩ってば！ 何で、そんなスッポンポンなんですかー！！」
むんず、とシャワーカーテンを掴んだが、酷く赤い顔で俺を怒った。そもそも、ここはシャワールーム。素っ裸は当然だ。なのに、随分と理不尽な責めに遭った俺は、迂闊で慌てん坊なを恨めしく思いながら彼女を見る。
――ス、スッポンポンって……！
風呂に入る人間が裸なのは、当たり前じゃないか！
軽い眩暈すら感じてしまいそうな俺は、開けられそうなシャワーカーテンを必死に押さえつつ、軽く溜息を零した時、自分がシャワー室に入る際に、入室する間際で"使用中"の札を掛けた事を思い出した。
「そ、そういうこそ、表の札を確認してなかったのか？！」
俺はを問い質すような口調で、彼女へと訊く。すると、俺の言葉を聞いたが、軽く頬を膨らませた。
「だ、だって！ 脱衣所を覗いたら、物置台に荷物無いんですもん！」
背後でずっと出っ放しになるシャワーの湯の音に負けない大きな声で、 が行動の理由付けを主張する。誰か使用者が居れば、そこに荷が あって当然だ、とが自慢げな表情を見せた。
「なっ！ 棚があれば、棚を使うのが普通だと思わないのか？！」
荷を出したままにする人間ばかりじゃない。荷を出しっ放しにして風呂に入るなんて無用心過ぎる。俺もに負けじと、自分の考えを主張した。
――いくらなんでも、の考えは大らか過ぎるぞ？
は、もう少し物事を落ち着いて考えて行動をしないと駄目だな。
目の前の少し低い位置にある大きな瞳を見下ろすと、俺の視線に気付いたが、真っ直ぐな瞳で俺を見上げる。すると、の目が途端にキッときつくなる。
「考えてる余裕なんて無いですよ！ パンツ、探してるんですからっ！！」
赤い顔したが口早に話す。彼女の強調された単語を聞き、俺は目を丸くした。
「パ、パンツだって？！ ……あ！」
シャワーカーテンを挟み、戦線で攻防する兵士のように、必死にカーテンを押さえる俺の両手のうち、自分の右手に持ったままになってる物を、俺は思い出す。
――パンツ、って……ひょっとすると……？
いや、でも……。
このデザインって、ちょっとお姉さんっぽいと、俺は思うけど……。
日頃、妹と俺の洗濯物は、自宅の風呂場の脱衣所に置かれる籠へと並んで入っている。妹の下着を目にする機会の多い俺としては、妹と然程変わりない年齢のが、このお姉さんっぽい下着を、はたして穿くのだろうか――と、疑ってしまう。
自分の右手に持つ物へと視線を移し、俺は疑問に持ちながらも、それをへ見せる事に決めた。
「…………もしかして、これか？」
シャワーカーテンを押さえていた右手をそこから外した俺は、持っているものをの目の前へと翳す。訝しい気持ちで尋ねる俺の声は、彼女の持ち物として、未だ疑っていた。そんな俺を他所に、は目を丸くすると瞬きを繰り返しながら、嬉しそうに破顔する。
「あ！ そ、それです！！ 私のパンツ、盗難や紛失じゃなくて良かった〜！」
俺の手にある物を自分のものだと言ったが、心底ホッとした声を俺に聞かせた。
「そ、そうか。のか――って、えぇ〜〜っ？！」
意外な組み合わせに、俺は瞬きを暫し繰り返す。持ち主の現れた忘れ物を喜んで良いのか、はたまた、お姉さんっぽい下着に興味のあるを、"女の子らしい"と褒めてやるべきか。そこまで考えた俺だが、本来の"下着"の役目を思い出す。
下着とは、即ち、肌着――。
裸体の柔らかな肌を守るように、素肌に１番近く身につけられるもの。
――やんちゃなが、その服の下に、その……こんなお姉さん的なデザインの下着を着用しているなんて、何とも……アンバランスな……。
不思議そうな顔を見せ、目の前のを見る俺の目は、手にしている物と彼女の間を忙しない速さで視線を移す。俺の目の動きに気付いたが、頬の赤さを更に増して口を開いた。
「ギャー！ な、何をジロジロ見てるんですか！！ エッチ！！」
の叫び声が、シャワールーム内を隅々まで響き渡る。その大きな声に耳を塞ぎたくなった俺の腕が、シャワーカーテンを離した事を知るや否や、が右手で豪快にカーテンを引き、俺の手にある彼女の下着へと、凄い勢いでの左手の先が伸びてきた。
「わ、わっ？！ 待てよ！ こっちに来るなって、が濡れるぞ！」
背後では、流しっ放しのシャワーの湯が水圧を下げる事も無く、元気に出続けている。シャワーカーテンという境界線をアッサリと破られた俺は、とりあえず、個室に仕切られるシャワールームへ押し入ろうとする彼女の動きを抑止するべく、左手での右肩を掴む。裸の自分は湯が掛かろうと拭けば良いが、服を着たままの彼女はそういう訳にもいかない。彼女を濡らさない為にも、シャワーカーテンを閉める必要があった。
左手で彼女を押さえつつ、開けられたシャワーカーテンを、再度閉めようと、俺はそれへと右手を伸ばす。運良く掴めたシャワーカーテンを俺が引くと、そうはさせまいとが激しく抵抗した。赤く染めた顔のが、パンツを手元に戻そうと必死な形相で俺へと迫る。
「と、とにかく、パンツ返してくださ――あぁ……っ？！」
甲高い声を出して騒ぐが、不意に上体のバランスを崩した。彼女は右手にカーテンを掴んだまま、背から床タイルへ落ちるように傾く。俺との間を遮ろうとしていたシャワーカーテンの裾を、彼女の左足が元気に蹴飛ばしていた。
「あっ、危ない！」
俺は短く叫び、シャワーカーテンを掴んでいた右手を離した。
――このまま見ていては、が転んだ拍子に頭を打ってしまう……！
彼女の傾いた身体を支えてやろうと、俺は両腕を彼女の上体へと伸ばして、精一杯の力で引き起こす。
ひらり、と優雅に揺れたカーテンは全開になり、俺の上体が視界の端に見えただろうが、俺の両腕へ腕を伸ばした。俺に引き起こされた反動で、今度はの上体が前のめりになる。俺の身体に突っ込むような体勢になった彼女が、急に視界に入ってきたものに対し、大きく息を呑んだ。
「――ぎ、ぎゃあああぁぁぁ〜〜っ！！」
が息を呑み込んだかと思った途端、劈くような乙女の雄叫びが響く。この声量だと、脱衣所はおろか、廊下まで丸聞こえだろう。目一杯叫び終えたの華奢な身体が、その場で酷く硬直する。
彼女がその場から動けないならば、自分が動くしかない。シャワーカーテンを隠れ蓑にするように自分の腰元へと寄せ、右手の物を持ち主に返すべく、彼女へと腕を伸ばした。何とも情けない姿で、俺はへと口を開く。
「コラッ、！ ドコを見たんだ、お前は！ 直視する奴があるか！」
怒ってるのに、なんと威厳の無いことか。見られて恥ずかしいのは、本来、俺のほうだ。怒りたい気持ちは山々だが、異性との違いをまざまざと見せ付けられてしまっただろう彼女を思うと、少し不憫な気もしてくる。真っ赤な顔で泣き出しそうなへ声を掛けながら、俺は右手の先を上下させ、そこに在る物を"持って行け"と彼女に教える。俺の動きが視界の端に映ったのだろう。が俺の右手にある物を見ずに手を伸ばし、何度か空を掻いた後、彼女の指先が俺の手に触れた。
「お、お嫁にいけませぇ〜〜ん……えっぐ、ひぃっく！」
自分の持ち物である女の子らしいショーツを片手に、酷く情けない顔をしたが幼子のような顔で泣き、幾つも個室が並ぶシャワールームから脱衣所へ続く扉を開けて出て行く。その背中が彼女らしくなく、何とも元気が無い。
誰が悪いのかといえば、当然なまでに、確認の甘いが悪い。本来ならば、自業自得――という見解で皆の意見が一致するだろう。とはいえ、何とも後味の悪い事の顛末となった。
――"お嫁にいけません"……か。
見られた俺が責任を取ってもらうべきなのか。
それとも、見せられてしまったが責任を取ってもらうべきなのか。
この場合、何とも複雑な話だよな……。
シャワールームの壁に凭れた俺は、出っ放しのシャワーの湯を見詰め、浅い息を漏らす。
「それにしても…………泣きたいのは、こっちだぞ」
ぐったりとした顔をした俺は、の未だ泣く声を背にして、再度、身体を温め直す事に決めたのだった。
脱衣所の明かりは、今も煌々としているが、辺りは静かなままだ。就寝時間が間近な為か、全く人の気配が無い。サッパリとした心地で、個室シャワールームから出た俺は、急いで新しい下着を身に纏い、半袖シャツに腕を通した後、ジャージを着込んだ。髪は短髪だから直ぐ乾くと決めて大判タオルを頭から掛けたまま、忘れ物のチェックをした俺は、脱衣所を後にし、シャワー室の脱衣所から廊下へと面する扉を開く。
「……ん？」
シャワー室の出入口扉を横に引いた俺が、目の前で見つけたものは、申し訳なさげに廊下で佇むの姿だった。
「えっと……」
泣いた所為で赤くなった大きな瞳と鼻の先、それから、少し恥ずかしげに頬を染めるが口篭ると、手にするいちご牛乳と烏龍茶のドリンクパックのうち、飲み後がサッパリとする烏龍茶のパックを俺へと差し出す。
――これはなりの……謝罪の気持ち、なんだろうか……？
彼女の掌に乗る汗をかいた烏龍茶のパックを、俺は見下ろした。
「……ありがとう。それで……何だい、？」
どうしたものかと思ったが、彼女自身、申し訳なさを感じて待っていたのだろうと考えると、俺には無下に断る事が出来ない。礼を述べた俺は、彼女に差し出されたものを受け取った後、彼女へと尋ねた。
「……見ちゃって、その……」
如何にも言い難そうにポツリと呟いたの視線が彷徨う。男兄弟の無い彼女にとって、性別の違う俺は未知の生物なのだろう。そう考えた俺は、苦笑した。
「"見た"という点についてなら、まぁ……"お互い様"だろ？」
苦笑したままの俺は、へと情けない程に下がる眉で困り顔をして見せた。
どちらかといえば、見られた俺のほうが分が悪い。しかし、男の場合、上半身を見られたぐらいで、特に何とも思わないものだ。そう考えると、女子が見られる場合と比べ、男が見られてはいけない絶対領域の面積が格段に少ない分だけ、羞恥の度合いも天と地程に違うものなのだろう。
実際、今の俺はを前にしても随分と落ち着いていた。それに比べ、彼女は未だに困った様子で、どこか落ち着きが無い。
「え……？」
俺の言葉に対し、が不思議そうな声音で問うと俺の顔を見上げた。俺の素っ裸を見たところで、全然動じない母親や妹を思い返して比べれば、幼さの抜けない頬を染める後輩は、何と可愛いことだろう。
「の……その……ショーツを、俺も見た訳だし……な」
コホン、と軽く咳払いした俺は、しどろもどろになりながら、へと話した。想定外な出来事に遭遇した俺だが、自分の全裸を見られるよりも、女の子の性的に関する部分に触れるほうが悪い事をしている気がし、恥ずかしい思いをした事よりも、何とも後ろ暗い気分が勝ってしまう。
俺としては――。
まぁ……誤って女の子の着替えに遭遇したような気分だけど、な。
首元に左手を当て、俺は少し落ち着かない気持ちでそこを軽く掻く。の女の子としての秘密を、どこか覗き見してしまった、そんな気まずさを俺は感じていた。
「それは、そう……ですけど……」
申し訳なさそうな声で話すが、彼女の正面に立つ俺を見た後、綺麗に磨かれている床上へと視線を落とす。実に気まずそうな顔をして見せるの表情に、申し訳ない気持ちが俺のほうにも生まれる。
「それにしても……妹や母さん以外に覗かれたのは、初めだよ」
しゅん、として俯くは、どこか彼女らしさを失っている気がした俺は、この場の空気を変える為に、少し茶化すような口調で彼女へと喋った。すると、俺の言葉に、がパッと顔を上げる。
「の、覗いた訳じゃないですよっ！！」
心外だ、と言いたげなが口を開き、俺にそう言った。彼女の大きな瞳が、俺の双眸を真っ直ぐに見詰める。俺の思うとおりに素直な反応を起こしたが可笑しく、軽い笑い声を漏らした。
「ははっ、解ってるよ。あんなに堂々と入ってくるんだからな」
落ち込んでいたかと思えば、怒ったような顔を見せる。のくるくると変わる表情が楽しい。こうなると、少しだけ悪戯心が湧いてくるものだ。そんな気持ちで、俺はの様子を窺って、冗談を口にした。
「お、大石先輩が入ってるって知らなかったですもん！！」
負けん気の強そうな彼女の双眸が少し泳ぐと、柔らかそうな頬が膨らんだ。これ以上の意地悪は、が本気で怒り出すだろうと思った俺は、やんわりと目元を細めて微笑む。
――の感情は、とても素直で、顔に出易い。
眺めてるだけでも、本当に……面白いよな。
ただ……そうに言えば、凄く怒るんだろうけど、さ。
彷徨っていた彼女の視線が俺のものと絡まると、膨らんだ頬が少し萎み始めていた。
「冗談だよ、。……まぁ、次からは気をつけろよ？」
あまりからかうのも可哀想かなと思い、俺はジョークという名のものだとへ教える。そそっかしい彼女に注意を促すように、俺はへと念を押した。
「そ、それは、もちろんですよ！！」
俺の言葉に両手を握り締めたが表情を引き締め、首をコクコクと縦へ振る。真剣な顔をする彼女に、俺はもう１つだけ念を押す。
「それとだな、が今日見たものは、その……忘れてくれよ？」
"男のシンボル"なるものを、直接口にして彼女へ伝える事に気が引けた俺は、言葉を少し濁してへ遠回しに伝えた。俺のモノを見た事の事実云々ではなく、彼女が見てしまった事を、後々まで気にしない為の俺なりの配慮だった。
「え？ 見た……？」
きょとんとした顔をしたが俺に問うような目を向け、訊き返す。その表情から、俺の配慮なるものが、裏目に出た事を覚る。俺のモノを見た事の罪悪感は、にはあまり無かったようだ。実際に謝った時点で、彼女の気持ちとしては晴れたのだろう。寝た子を起こすような事を言ってしまった自分に、内心、俺は舌を打つ。
「…………」
女の子に対し、"男のシンボル"というものの説明を、どうしたら良いのやらと、俺のほうが困ってしまった。眉間を寄せた俺は、心底、首を傾げて悩んでしまう。
――いや……これは、参ったな。
さすがに、相手がだからって言っても、女の子だぞ？
さらりと流すような上手い説明が出来る自信……俺には、無い。
さぁ、どうする……秀一郎？！
首を傾げたままの俺は、心底弱りきった顔で瞼を閉じ、懸命に頭を働かせていると、の声が俺の耳へと届く。
「やだなぁ！ 良く考えれば、お父さんと同じモノだし、気にしてませんよ」
彼女の言葉にパチリと目を開けた俺は、そのまま、瞬きを繰り返した。目の前には、の人懐っこい笑みが見える。
「――え？」
彼女の言葉を聞き間違ったような気がした俺は、聞き返しながら、が口にした言葉を胸の内で唱えた。
――お父さんと……"同じモノ"……？
首を捻る俺が考え込もうとするのを許さないかのように、が続けて喋る。
「大石先輩も春には高校生なんだから、充分にオトナですし……」
はそう言うと、俺を見ていた視線を静かに外し、彷徨わせる。その落ち着かない彼女の目の動きに、俺の胸で警鐘が鳴る。これを"嫌な予感"と呼ばずに、何と例えれば良いのだろうか。
――ちょ、ちょっと待て！ お前……何を言う気なんだ？
先程よりも眉間の皺を深くした俺は、訝しい気持ちを前面に表した声を出す。
「…………お、おい？」
焦った俺の呼び掛けの声を無視するかのように、少し恥ずかしそうな表情を覗かせたが、俺の驚くような言葉を語る。
「驚いてません！ その、ツルッツルな歳でもないでしょうし……」
キャッ、と言いたげに片腕で顔を隠すが「言っちゃった！」と声を弾ませる。その異様な光景に、俺はクラリとする眩暈を起こしそうになっていた。
――い、今の言葉は……何だ……？
確かに、俺の声変わりなんて、２年近く前に終わってる。当然、俺の身体の成長は、至って健全に遂げていた。自分の身体が大人の身体と然程変わりなくなりつつあるのだから、の言いたい事も、多少なりとは解るというものだが――。
――だ、だからって……っ！
……ツ、"ツルッツル"って例えは、どうなんだーーっ？！
あまりにも露骨な言葉に、俺は心の中で、大きく叫んでしまった。しかし、ひょっとしたら俺の聞き間違いなのかもしれない。微かな期待を胸に宿し、再度、俺は訊き直す事にした。
「な、何……だって……？」
先程聞いた言葉が自分の聞き間違いである事を祈りながら、俺は恐る恐るへと問う。俺の思う事など何処吹く風のような顔をした彼女が、ニッコリと愛らしい笑みを見せ、口を開いていく。
「美術の教科書のダヴィデ像より、"大きく"て良かったですね♪」
の裏の無い満面の笑みが、心底眩しい。彼女の弾んだ声音が、一段と大きく廊下で響いていた。しかし、俺は彼女の言葉で更に目が眩む。気付け代わりに、右手に持つ烏龍茶のパックを、自分の額へ当てていたいぐらいに、だ。当然、俺は肩をガックリと落として項垂れた。
――美術の造詣、彫刻手本となるダヴィデ像の"ソレ"と……。
お、俺の"モノ"を、そこまで……シッカリと比較するかな？！
何だか居た堪れない程の恥ずかしさが込み上げてくる自分の心を懸命に奮い立たせ、俺は左手の拳を握った。すると、その握りから小刻みな震えが、俺の両肩へと到達する。その震えを感じながら、俺は真正面からを見詰めた。
「女の子が、そんな、シッカリ……ソコは見ちゃ駄目だろ！」
に負けない声は廊下で大反響し、俺の怒声を遠くまで響かせる。恥ずかしさと怒りで真っ赤になった顔をへ見せる俺に対し、俺の言葉を気にしてないのか、あっけらかんとした顔のが楽しげに笑っていた。
――これが、"お嫁にいけない"と泣いたと、同一人物なのか？
どこか夢を見てた気分になる。酷く重たい溜息を、良く磨き抜かれた廊下へと吹きかけるように吐き出した俺は、楽しげに笑い続けるを置いて行くようにトボトボと歩き出し、履いているスリッパの足音で悲しい気分を奏でた。
――俺のような、男というものには、さ……。
女の子って、永遠に得体の知れない生き物なのかもしれない――。
母や妹もそうだが、自分が可愛いと思う後輩さえも、俺にとっては心底手強い異性なのだと、嫌という程に思い知らされる一夜となる。
こうして、心身共に疲れ果てた俺が布団に入り、この後、ぐっすりと眠れるはずの夢の中でさえも、に邪魔され続け、夜が白んでいくのは、既に語るまでもないことだった。
【END】